
古くから日本人は、風や雨、雷や山のざわめきのなかに“いのちの気配”を見てきました。
その象徴こそが「龍」。
時に神として敬われ、時に自然そのものとして畏れられ――龍は人と自然の境を結ぶ存在でした。
いま、龍は再び注目されています。
神社参拝やアート、瞑想の世界にまで広がる”龍神信仰の再生”。
この記事では、日本の龍の伝説や文化的背景、その姿とご利益をひもときながら、古代から続く”祈りと調和”の物語をたどります。
日本の龍とは ― 神と自然の間に生きる存在
- 「龍」「竜」「辰」の漢字の違いと意味
- 日本の龍が「自然そのもの」を象徴する理由
- 中国や西洋とは異なる「日本的龍観」
龍・竜・辰 ― 日本での漢字と意味の違い
「龍」「竜」「辰」。
日本語には、同じようで少しずつ異なる”龍”の文字が存在します。
古来、「龍」は神聖で霊的な存在――すなわち神格化されたものを表す文字でした。
一方で「竜」は、物語や現代的な表現で使われることが多く、親しみや創作の世界に寄り添います。
「辰」は、干支の一つとしての象徴。春の到来や上昇の気を司る、暦の中の龍です。
つまり「龍」は祈り、「竜」は物語、「辰」は暦――
この三つが重なり合いながら、日本人の心の中でひとつの”龍信仰”を育んできたのです。
龍は自然そのもの:雨・川・風・山・火に宿る神の象徴
日本の龍は、炎を吐く西洋のドラゴンとは異なり、“自然そのもの”の象徴です。
雨を呼び、川を流し、風を運び、山に眠る――そうして天地の循環を支える存在。
たとえば、田んぼに恵みの雨をもたらす雨乞いの儀式では、
龍は雲を起こし雷を鳴らす「天の使い」として祈られました。
一方で、洪水や嵐を起こす”荒ぶる龍”も同時に畏れられ、
人々はその怒りを鎮め、自然と調和するために祭祀を重ねました。
龍は“人が自然を征服する対象”ではなく、“自然とともに生きるための媒介者”。
この思想こそが、日本の龍信仰の根幹にあります。

それだけで、自然と自分が優しくつながっている感覚があり、
世界がやわらかく動き出すように感じるんです。
中国の龍とも西洋のドラゴンとも違う”日本的龍観”
日本の龍は、中国から伝わった神聖な皇帝の象徴「龍」と、縄文的な自然信仰が融合して生まれた独自の存在です。
中国では龍は「帝王の威厳」、西洋では「人が戦うべき怪物」。
けれど、日本では龍は「山河の神」「水の神」など自然霊として、人とともに生き、祈りの対象として崇められました。
たとえば、山の湧水に龍神を祀る「龍神社」、滝に宿る龍を拝む「龍の滝」など――
どれも“自然の循環”そのものを神格化した信仰です。
日本の龍は、畏れと慈しみ、荒ぶりと恵み――相反するエネルギーを併せ持ち、
まるで自然界のリズムをそのまま映す鏡のように存在しています。
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“自然そのものの循環”を象徴し、西洋の「征服」や中国の「権威」とは異なる
自然との「共生」を媒介する神として信仰されています。
日本の龍 ― 自然とともに生きる自然の神々

日本の龍は、天を翔けるよりも、自然エネルギーそのものの神です。
川や湖、雨や霧、風や火、そして大地――それらの中に龍の気配を感じる人々の祈りがありました。
古くから日本人にとって龍は、「自然とともに生きる」象徴なのです。
龍蛇信仰 ― 蛇から龍へと変化した日本独自のかたち
日本での龍信仰の起源は、古代の「蛇信仰(へびしんこう)」にあります。
縄文時代から、蛇は水と再生の象徴として祀られてきました。
山や川の神としての蛇が、中国から伝来した龍の概念と結びつき、
やがて四肢と角を持つ“龍神”として姿を変えていったのです。
『古事記』や『日本書紀』にも、蛇や龍は幾度となく登場します。
それは「水」「再生」「祈り」と深く関わる存在として描かれています。
つまり、日本の龍は――
天の支配者ではなく、自然と共に息づく神として信じられてきたのです。

お祀りされている神様のエネルギー以外に、大きな龍の気配を感じます。
日本神話に登場する龍たち ― 自然と祈りの象徴
| 名称 | 特徴・物語 | 象徴するもの |
|---|---|---|
| ヤマタノオロチ | 八つの頭と尾を持つ大蛇。スサノオ命に討たれる。 | 水害・自然の猛威・鎮めの儀式 |
| みづち(蛟) | 川や湖に棲む蛇神。人を襲うが、供養で鎮まる。 | 流れ・境界・供養 |
| 龍神 | 海・川・湖の守護神。浦島太郎・龍宮伝説などに登場。 | 豊漁・航海・祈り |
| 龗神(おかみ) | 雨と水源を司る神。高龗神・闇龗神として祀られる。 | 雨乞い・気象の調和 |
| 九頭龍 | 九つの頭を持つ龍。箱根・長野で縁結びの神として信仰。 | 繁栄・結び・変化 |
| タマヨリヒメ | 龍神の娘とされ、神武天皇の母。 | 命の継承・女性性・水の力 |
こうした龍たちは、荒ぶる自然を鎮め、また豊かさをもたらす存在として、
人々の祈りとともに生き続けてきました。
諏訪湖の龍神、琵琶湖の弁才天、
九頭龍が棲むと伝わる箱根神社の芦ノ湖――
日本各地の水辺には、今も龍を祀る社が静かに立っています。
箱根神社奥宮から芦ノ湖に浮かぶ不思議な渦を見たとき、
間違いなく湖に龍がいることを感じました。
そして、見せてもらえたことに感謝しました。

日本の龍は、神話の中だけでなく、湖や滝といった自然のエネルギーとして、今も静かに息づいていると感じます。

仏教との融合と八大龍王信仰 ― 水と仏法を守る守護神
奈良時代以降、インドのナーガ信仰が仏教に取り入れられ、
「八大龍王(はちだいりゅうおう)信仰」として日本全土に広く浸透しました。
仏法を守護する重要な存在です。
八大龍王とは、仏教の経典において釈迦の説法を守護し、
水を司って衆生を潤すと説かれた八体の龍王たちです。
龍はここで「自然の守護者」という古来の側面を持ちながら、同時に「仏法を守る存在」へ
姿を変え、日本の信仰体系に深く溶け込んでいきました。

当時の人々の心のよりどころが感じられますね。
信仰の進化は、いつも力強いです。
特に真言密教においては、龍は加持祈祷の守護者とされ、
僧侶たちは雨乞い(祈雨)や航海の安全、国の安寧を祈る儀式で八大龍王を呼びます。
八体の龍はそれぞれ風・水・雷・雲など自然の要素を司り、
その力は人々の生活に直結していました。
比叡山延暦寺の「八大龍王堂」、高野山金剛峯寺の「龍王院」などが代表的な建立例です。
また、秩父今宮神社や奈良・室生寺などでは、
今も八大龍王を祀る池があり、水の清らかさを守るための儀式が続いています。
八大龍王信仰は、龍が動くことを「命の循環」の象徴とする、
地域の信仰に深く根付いた存在となったのです。
| 龍王名 | 意味・象徴 | 司るもの |
|---|---|---|
| 難陀(なんだ) | 喜び・水の恵み | 湖や海 |
| 跋難陀(ばつなんだ) | 雨を呼ぶ | 降雨・気象 |
| 娑伽羅(しゃから) | インド洋の支配者 | 大海・繁栄 |
| 和修吉(わしゅきつ) | 調和・平和 | 流れ・静けさ |
| 徳叉迦(とくしゃか) | 医療・毒薬 | 癒しと変容 |
| 阿那婆達多(あなばだった) | 聖なる泉の守護者 | 浄化・源流 |
| 摩那斯(まなし) | 繁栄と成長 | 豊かさ |
| 優鉢羅(うはつら) | 青い蓮華の名を持つ | 精神的目覚め・悟り |
善女龍王 ― 慈しみと時をつかさどる

日本の龍神の中でも、善女龍王(ぜんにょりゅうおう)は静かな光を放つ存在です。
その名のとおり「善き女性の龍王」であり、
怒りよりも慈しみ、力よりも祈りの波で人々を包みこんできました。
『法華経』では、八歳の少女の姿をした龍王の娘として登場し、
一瞬にして悟りを得たと伝えられています。
それは、性別や年齢を超えて“すべての命に仏性がある”ことを示す象徴でもありました。
日本では、徳歳神・年神様としても祀られています。
善女龍王は、『法華経』に登場し、八歳の少女の姿で一瞬にして悟りを開いた龍王の娘です。日本の龍神の中でも、慈悲と悟りの象徴とされ、徳歳神や年神様としても信仰されています。
弁才天(弁財天) ― 水と芸能の守護者
弁才天は、インドの水神 Sarasvatī(サラスヴァティー)に起源をもち、やがて「水」「言葉」「音楽」の神として日本に根付きました。
川の流れや琵琶の音が言葉や芸能にたとえられたように、水と音の“響き”を人生の中で守る存在で、水の神・芸能の守護・言霊の加護をもたらす存在として信仰されています。
また、古来「蛇が大蛇となり龍となる」とも語られ、弁才天の神使には蛇や龍の姿が重ねられてきました。水辺の祠で波の音を聞くと、そこに龍を伴った弁才天の祝福が宿るようにも思えます。
日本では、江ノ島や琵琶湖竹生島、厳島神社、金華山黄金神社、天河大弁財天社に祀られ、五大弁財天神社と呼ばれています。
龍と稲の神 ― 豊穣と再生の象徴
稲作文化と深く結びついた日本では、
龍は「水の循環」と「実りの循環」をつなぐ存在でもあります。
ウカノミタマ(倉稲魂神)は、蛇の姿で祀られることもあり、
“稲の精霊=龍神”として信仰されてきました。
田植え前には龍神に豊穣を祈り、
収穫の秋には感謝の舞を奉納する――
その祈りは、自然との対話そのものでした。

田んぼを見るのが大好きです。龍が通った水田は豊作になると言われています。
2. 神話伝説に登場する日本の龍神たち
- ヤマタノオロチが象徴する「荒ぶる自然と再生」
- 出雲信仰における龍蛇神(大物主)の系譜
- オオワタツミ神話にみる皇統と龍のつながり

スサノオとヤマタノオロチ ― 荒ぶる水と再生の象徴
最も有名な龍の物語といえば、『古事記』に登場するヤマタノオロチ。
八つの頭と八つの尾を持つ巨大な龍蛇で、出雲の国を荒らし続けました。
荒神スサノオは、このオロチを退治することで「水の暴れ神」を鎮め、
同時に「新しい秩序」をもたらす存在として描かれます。
つまりヤマタノオロチとは、ただの怪物ではなく、
“荒ぶる自然を鎮め、調和へと導くための試練の象徴“。
スサノオがその体から「草薙の剣」を取り出す場面は、
“破壊の中から生まれる再生の力”――まさに龍神信仰の原点です。
オオクニヌシと大物主 ― 出雲に息づく龍蛇信仰の系譜
出雲の地は、古くから”龍蛇信仰”が息づく土地です。
ヤマタノオロチを退けたスサノオの後、
この地を治めたのがオオクニヌシ(大国主命)。
彼の分霊、あるいはもう一つの姿とされるのが、
蛇身の神大物主神(おおものぬしのかみ)です。
『古事記』では、大物主は美しい青年として現れ、
夜になると蛇の姿に変じる神として描かれます。
その姿はまさに“龍の化身”であり、
水と地の力をつなぐ存在として、出雲信仰の根幹をなしています。
出雲大社の祭神・オオクニヌシと、
奈良・三輪山の大神神社に祀られる大物主神。
この二柱は、同格の神であり、
“龍蛇神”として日本の古代信仰を二分して受け継いでいるのです。
また「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」の物語では、
白兎が海を渡るときに背を貸したのは“ワニ(和邇)”――
実はこれが古代の言葉で”龍や大蛇”を意味していました。
つまり、日本最古の神話のひとつにも、
すでに“龍の背を渡る”という象徴が現れているのです。
出雲の龍は、”国を造る力”と”縁を結ぶ力”の両方を持ち、
大地の奥深くで眠る龍脈とともに、今もその気配を伝えています。
オオワタツミ ― 海の龍神、豊穣と航海の守護者
海の底を治める神、オオワタツミ(大綿津見神)。
その名には”海の広がりを包み込む存在”という意味があり、
龍神としての姿は、しばしば鱗を持つ美しい龍体として描かれます。
海にある都は龍宮と呼ばれました。
波の間に光る龍鱗のような陽光――
海人族が龍神に祈りを捧げ、航海の安全と豊漁を願ったその祈りは、
今も海辺の神社に息づいています。志賀海神社(しかうみじんじゃ)|福岡県・志賀島
・九州随一の「海神総本社」にお祀りされています。
トヨタマヒメ、タマヨリヒメ、そして神武天皇
龍神オオワタツミの娘・トヨタマヒメは、
山幸彦との間に子をもうけますが、出産の際に“龍の姿”を見られ、
恥じて海へと帰ってしまう――という有名な神話があります。
この物語は、”神と人の境界”を描いた象徴的なエピソード。
「龍=自然神の血が人の中にも流れている」という思想を示しています。
彼女の妹・タマヨリヒメがその子を育て、
やがてその子孫が初代・神武天皇へとつながる――
つまり「日本の始まりには龍の血がある」とされるのです。
龍とは、神話の中で”人と神をつなぐ存在”であり、
自然と人間の世界を往来する媒介者として描かれてきました。神武天皇がお祀りされているのは奈良の橿原神宮が有名です。
皇族・神社で崇められる龍 ― 皇祖神と龍脈のつながり
神武天皇の祖母はオオワタツミの娘トヨタマヒメです。
“龍の血”は日本の皇統に流れている=日本人には龍の血が流れているとも言われます。
龍は天と地を結ぶ存在として、”皇の象徴”とも重なります。
古代の都には必ず「龍脈」と呼ばれる大地のエネルギーの流れを読み、
その上に社殿や都を築いたと伝えられています。
伊勢神宮は“龍穴(りゅうけつ)”の上に建てられ、
京都御所もまた”青龍・白虎・朱雀・玄武”の四神によって守られる地に置かれました。
龍脈とは、大地の呼吸。
その流れに身を置くことは、自然とひとつになる祈りそのものなのです。
琵琶湖と弁財天 ― 水と音楽をつなぐ女神と龍の物語

日本最大の湖・琵琶湖には、龍神と弁財天が共に祀られています。
竹生島(ちくぶしま)の弁財天は、かつて龍神に導かれた女神。
その姿は、水面を渡る風のように優しく、音楽と芸術の守護神として信仰を集めてきました。
「龍が水を治め、女神がその水に響きを与える」――
水と音の調和こそ、古代日本人が感じた“宇宙のリズム”だったのかもしれません。
湖面に光が揺れるたび、そこに龍の影を見る。
そんな”祈りのまなざし”が、今も静かに受け継がれています。
広島の厳島神社や金華山黄金神社など弁才天をまつられている場所は竜の気配があります。
日本に伝わる龍神の種類とその象徴
- 九頭龍神、八大龍王、五龍神の役割とご利益
- 龍が象徴する「結び」「水の守護」「五行のバランス」
- 地方に残るユニークな龍伝説

九頭龍神 ― 縁と流れを整える”結び”の龍
箱根の九頭龍神社は、今では恋愛成就の神様としても知られていますが、
もとは芦ノ湖の水を治める龍神が祀られた場所。
九つの頭を持つ龍は、九つの流れをひとつに束ねる“結び”の象徴です。
人と人、出来事と出来事をつなげ、滞りを流してくれる――
だから「縁結び」や「流れを整える祈り」として信仰が広がりました。
湖畔の鳥居に差す朝の光が水面を照らすとき、
それはまるで龍が静かに姿を現す瞬間のようです。
五龍神 ― 東西南北と中央、五行に宿る龍の五徳

東京・田無神社などに祀られる「五龍神」は、
東西南北と中央を守る五体の龍。
五行(木・火・土・金・水)の力を象徴し、
それぞれの龍が人生のバランスを司ります。
- 青龍 ― 東、発展と創造
- 赤龍 ― 南、情熱と表現
- 白龍 ― 西、浄化と再生
- 黒龍 ― 北、守護と忍耐
- 黄龍 ― 中央、調和と安定
まるで五つのエネルギーが呼吸するように、
人の心や空間のバランスを整えてくれるのです。
龍とは本来、形を持たない“気”の存在。
だからこそ、五色の龍は“心の状態”を映す鏡のように働くのです。
地方に残る龍伝説 ― 東北の雨乞い龍、九州の護り龍
東北では「龍が天に昇ると雨が降る」という伝承があり、
田の水が枯れると村人は龍を描いた幟(のぼり)を立てて祈りました。
九州では「龍が火山を鎮める」と言われ、
阿蘇や霧島の山には龍神を祀る社が数多く残ります。
龍は土地ごとに姿を変え、
ときに黒雲となり、ときに水の流れとなり――
それでもいつも、私たちの暮らしのそばに息づいています。

自然と龍との「見えない対話」を形にしているようです。
多様な役割を持ちます。
これらは全て、人々の生活と自然の循環を支えるための信仰です。
龍の姿と日本
- 天井画などに描かれる龍の表現の意図
- 日本の龍の造形(九似・昇龍・降龍・蟠龍)の意味
- 「日本列島は龍の体」という龍脈信仰

雲龍図・天井画・襖絵に描かれた龍の姿
寺院や城の天井に描かれる「雲龍図」。
その巨大な瞳が見る者を射抜くように見つめ、
どこに立っても目が合うように描かれているのは、
龍が“天地を見守る神”として表現されているからです。
京都・建仁寺の双龍図、妙心寺の雲龍図――
それぞれの龍は、墨と水の流れで描かれ、
筆の勢いそのものが”龍の息づかい”になっています。
襖や屏風に描かれた龍は、
閉ざされた空間の中で”風と水”を呼び込み、
場の気を循環させるための”祈りの装置”でもありました。
代表的な龍の姿(長い髭・九似・昇龍・降龍・蟠龍)

古来より、龍には“九似(きゅうじ)”という特徴があるとされます。
龍の姿「九似」とは、角は鹿、頭はらくだ、眼は鬼、うなじは蛇、腹は蜃(しん)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛という
9つの動物の部位を合わせた形で天地すべての生命を統合する姿です。
そして口はワニのようで長いひげを持っています。
昇龍は「上昇・発展・志」、
降龍は「浄化・恵み・慈愛」の象徴とされ、
天に昇るときは雷となり、地に降るときは雨となる――
その動き自体が「陰陽の循環」を意味します。
寺院の天井に描かれた龍が上を向いているのは、
参拝者の願いを天へと運ぶ”昇龍”の姿。
一方、神社の手水舎や滝に刻まれた龍は、
天からの恵みを地へと届ける”降龍”です。
そして、静かにとぐろを巻きながら力を蓄える龍――
それが「蟠龍(ばんりゅう)」と呼ばれる姿です。
機を待ち、時が来れば一気に天へ昇る。
蟠龍は、変化の前の”静かなエネルギー”を象徴します。
心を整え、流れを読む人のそばに宿る龍とも言われています。
「日本列島は龍の体」説 ― 龍脈と祈りのライン

風水では、大地を”龍の身体”に見立て、
その中を流れる気の通り道を「龍脈(りゅうみゃく)」と呼びます。
日本列島を俯瞰すると――
その頭は北海道、胴は本州、尾は九州にあたり、
まるて一匹の龍が昇っているように見える。
反対に、鹿児島を頭にして北海道を尾にしても、
龍が降っている姿にも見えます。
つまり、日本という大地そのものが、“昇り龍”と”降り龍”の両方を内包しているのです。
この島国全体が呼吸するように、
龍の気は山から海へ、海から空へと循環しています。
人々は古来、地の流れと祈りの場所を一致させ、
大地の呼吸とともに生きてきました。
神社を巡ることは――
“龍の体をめぐる旅”なのです。
アートにおける龍の表現
わたしが龍を描くとき、
いつも「雲・風・水・光・熱」――
龍がいる“場”の気配”を感じながら筆を入れます。
龍そのものを描こうとするのではなく、
“龍が通ったあとに残る空気の流れ”を描く。
それは、筆を握る手の力ではなく、
呼吸と祈りのリズムが重なったときにだけ生まれるもの。
アートの中で龍と出会うということは、
“目に見えないものを信じる心”を取り戻す時間でもあります。
日本の龍の姿は、墨絵の天井画から九似といった特徴まで、自然界の「循環」と「調和」を象徴しています。「昇龍」と「降龍」は陰陽のエネルギーを、「蟠龍」は静かな力を象徴します。また、日本列島そのものが龍の体という考え方は、日本人の大地とのつながりを表しています。
現代に息づく龍神信仰
- 現代で龍神が再注目される理由
- 日常の中で龍の気を感じる実践方法
- 全国の龍神スポットを巡る「祈りの旅」

なぜ今、龍神が再び注目されているのか
龍神信仰は、古代から続く“自然への畏敬のかたち“です。
しかし近年、その姿はスピリチュアルの世界を超えて、
アートやライフスタイルの中に静かに戻ってきています。
科学が進んでも、心の奥では「自然と調和して生きたい」という願いが消えなかったのです。。
環境のリズム、天候の揺らぎ、人の気持ちの波――
それらを感じ取る感性を“龍の気配”として受け取る人が増えています。
SNSでは”龍雲””龍の形をした波””光の龍”を見たという投稿も多く、
それは迷信ではなく、“自然と自分がつながっている”という感覚の表れ。
龍神信仰は、古代の信仰が現代の心に形を変えて蘇ったものとも言えるでしょう。
龍を感じる参拝・瞑想・アート表現
龍を感じる方法は特別な儀式ではなく、
“自然と呼吸を合わせること”から始まります。
神社に行くとき、手水舎の水をすくう瞬間、
その水面の揺れに龍の呼吸を感じてみる。
木々のざわめき、風の音、雲の流れ、炎の揺らめき――
それらはすべて、龍が動くときの音です。
瞑想の中で、背骨を一本の龍のように意識する。
下腹に”尾”を、頭頂に”角”を持つようなイメージで呼吸を続けると、
心の中に静かな光が通い、思考の霧が晴れていきます。
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現代の龍神スポットと祈りの旅
箱根の九頭龍神社、長野の諏訪大社、
富士山本宮浅間大社、熊野の那智大社――
それぞれの地に流れる“龍脈”を感じながら歩くと、
まるで大地の呼吸の中を旅しているような感覚になります。
龍神の社は、単なる観光地ではなく、
人と自然、過去と未来が交わる“祈りの場”です。
そこに立つことで、心の流れも静かに整っていきます。
現代の龍神信仰は、「自然と調和したい」という心の願いが形を変えて蘇ったものです。神社参拝や瞑想を通じて自然の流れと呼吸を合わせることで、誰もが日常の中で龍の気を感じることができます。
龍は、信仰や芸術を超えて“いのちのつながり”そのもの。
それを感じ取る感性は、誰の中にも眠っています。
次章では、この記事全体の締めくくりとして――
「日本の龍が教えてくれる調和の心」へと進みます。
まとめ ― 日本の龍が教えてくれる調和の心
- 龍の教えである「いのちの循環」の重要性
- 龍が象徴する「つなぐ力」
- 龍とともに生きるための心の姿勢
龍は、昔も今も変わらず“いのちの循環”を教えてくれます。
それは、山に降る雨、川を流れる水、海へと還り、
また雲となって天に昇る――その永遠の呼吸のようなもの。
古代の人々は、龍を恐れながらも敬い、
自然とともに生きる術を学びました。
現代を生きる私たちもまた、その“調和の知恵”を思い出すときに来ているのかもしれません。
龍は、姿を変え、形を持たずとも、風の音、水の光、祈りの中にいつも息づいています。
それは外の世界だけでなく、私たち自身の中にも――。
怒りの炎も、涙の流れも、笑顔のひかりも、
すべては龍の呼吸のひとつなのです。

だから、龍を感じるとは――
大地に触れ、空を見上げ、自分の中の流れを信じること。
祈ること、描くこと、感謝すること、
そのすべてが“龍とともに生きる”ということなのです。
🕊️最後に
龍は、伝説の中だけの存在ではありません。
それは、わたしたちが“世界と調和して生きる”ための感性の記憶です。
あなたの中の龍は、どんな姿をしているでしょうか。
きっとその龍は、今日も静かに、あなたの呼吸の奥で微笑んでいます。
「龍」「竜」「ドラゴン」同じようで少し違う三つの言葉。それぞれの意味と文化をやさしく解説。









アートで描き、セラピーで癒し、
占いで行く道を示し、龍で導く人。
龍神アート作家 杵築乃莉子(きづきのりこ)です。