日本神話の龍とは?古事記・日本書紀でたどる7つの龍の神話

龍と7つの日本神話アイキャッチ

のりこ
祈りを描き、セラピーで未来を癒し、
占いで道を照らす――龍とともに導く人。
あなたの感受性を「力」へと育てる専門家
杵築 乃莉子(きづきのりこ)です。


ここでは龍のことを深く知り、仲良くなるための小さなヒントをお届けします。

「日本神話にも龍は登場するのでしょうか?」

「八岐大蛇(やまたのおろち)や
大物主神(おおものぬしのかみ=オオモノヌシ)
豊玉姫(とよたまひめ=トヨタマヒメ)も、龍と関係があるの?」

日本神話を読んでいると、
はっきりと「龍」と書かれた存在だけでなく、
大蛇、蛇神、水神、海神、和邇(わに=以後、一般的な説明ではワニ)など、
さまざまな姿が現れます。

中国の龍のように、角を持ち、長い体で空を飛ぶ姿だけを探していると、
日本神話の中を流れている龍の気配を見落としてしまうかもしれません。

日本の龍は、水の流れや海の力、山そのもの、蛇の姿、命を生み出す女神、
そして神々から人へ受け継がれる系譜の中にも現れています。

この記事では、『古事記』と『日本書紀』を中心に、
日本神話に登場する龍や、龍と重なる性質を持つ存在を、
7つの神話からたどります。

あわせて、後世の伝承や神社信仰、
龍を描く中で私が感じてきたこと、
神話から広がった想像も紹介します。

一つの見方だけを正解と決めるのではなく、
神話に書かれた違いを知りながら、
自分の中に浮かぶ景色も楽しんでみてください。

この記事では、読みやすさを考え、
神さまの名前が本文で最初に登場するときに、
よく使われる漢字表記・読み方・この記事で
使用する呼び方を示しています。

「大綿津見神(おおわたつみのかみ=ワタツミ)」と表記し
2回目以降はカタカナでお名前を書いています。
(神武天皇はカタカナ表記をせずそのままです。)

ただし、「この記事でわかること」や一覧表、見出しでは、
読みやすさを優先して漢字表記を使用しています

この記事でわかること

  • 日本神話に現れる龍・大蛇・蛇神・和邇・海神の違い
  • 国生み以前の神々たちと龍の関係
  • 八岐大蛇と九頭龍、草薙剣の関係
  • 高龗神・闇龗神に見る日本の水の龍神
  • 大物主神と三輪山で感じた蛇と龍
  • 大綿津見神と海幸彦・山幸彦の神話
  • 豊玉姫が和邇と龍の両方で伝えられる理由
  • 海神の系譜が玉依姫を通して神武天皇へ続く流れ


この記事の最後に
神さまの名前一覧

その神さまと関係のある神社一覧
記載しています。ご参考のご覧ください。
日本神話の龍をさらに知るために

龍でたどる7つの日本神話

机の上に『古事記』『日本書紀』を思わせる和綴じの本、巻物、筆、龍や蛇を描いた小さな図がある。開いた本の上に淡い水の光や龍の影が浮かんでいる構図
この章で分かること
・この記事で扱う7つの神話と主な存在
・龍・大蛇・蛇神・水神・海神・和邇を含めて見る理由
・玉依姫から神武天皇へ続く海神の系譜

「日本神話には龍の神話が正確に7つだけある」という意味ではありません。

龍と書かれた神だけでなく、
大蛇、蛇神、水神、海神、和邇など、
水や生命、神の世界と人の世界に関わる存在も含めています。

この記事の「7つ」は、日本神話に龍の神話が7つだけあるという分類ではありません。龍と重なる性質を持つ存在を、7つの物語の流れからたどるための構成です。
7つの神話主な神・存在この記事で注目すること
八岐大蛇の神話八岐大蛇・須佐之男命大蛇、川、九頭龍、草薙剣
水の龍神の神話高龗神・闇龗神雨、水源、天と地の水
三輪山の神話大物主神山、蛇、水、雷
海神の宮の神話大綿津見神・山幸彦海の異界、潮の珠、天孫族との結びつき
豊玉姫の神話豊玉姫八尋和邇、龍、見るなの禁
因幡の白兎の神話白兎・和邇海の和邇と龍への想像
海神から神武天皇へ続く神話玉依姫・神武天皇海神の命を人の時代へ受け継ぐ系譜

玉依姫(たまよりひめ=タマヨリヒメ)は、
龍の姿で現れる神ではありません。

しかし、海神の娘として御子を育て、
その命を神武天皇(じんむてんのう)へ受け継いだことから、
この記事では、海神から人の時代へ続く7つ目の神話として扱います。

日本の龍の解説スサノオとヤマタノオロチ画像

神話の原文や資料に興味がある方は、
『古事記』『日本書紀』の資料もご覧ください。
日本神話の世界をより深く楽しめます。
古事記』『日本書紀』(国立国会図書館・ジャパンサーチ)

この章のまとめ
この記事では、原典で龍と明記された存在だけでなく、大蛇、蛇神、水神、海神、和邇など、龍と重なる性質を持つ存在を7つの神話からたどります。

日本神話に龍は登場するのか

龍の身体には、これまで登場した山、波、雲、雨、宝珠などがうっすら重なっている。海を巡った水が、一頭の龍の姿となって空へ昇る画像。
この章で分かること
・日本神話に龍がどのような姿で登場するのか
・『古事記』と『日本書紀』で異なる龍の描かれ方
・龍・大蛇・蛇神・ワニ・海神の違い
・日本の蛇神・水神信仰と龍神信仰の重なり
・龍を描く私が感じている、日本神話の龍の姿

結論からお伝えすると、日本神話にも龍は登場します。

ただし、すべての龍が「龍」という名前や、
現在私たちが思い浮かべる姿で現れるわけではありません。

『日本書紀』では、海神の娘・トヨタマヒメが出産するときに、
龍の姿になったと記されています。

一方、『古事記』では、
同じ神が八尋和邇という
巨大な海の生き物の姿になります。

ほかにも、八岐大蛇、オオモノヌシ、高龗神(たかおかみのかみ=タカオカミ)、
闇龗神(くらおかみのかみ=クラオカミ)、ワタツミなど、
龍と重なる姿や性質を持つ神々が登場します。

『古事記』と『日本書紀』に見られる龍の姿

『古事記』と『日本書紀』は、どちらも日本の神話を伝える大切な書物です。

けれども、同じ神さまや同じ物語でも、
名前や姿、物語の細部が異なることがあります。

その代表が、海神の娘・トヨタマヒメです。
『古事記』では、出産のときに八尋和邇の姿へ戻ります。
『日本書紀』本文では、龍の姿で出産します。

つまり、日本神話の中では、
ワニと龍が同じ神の本来の姿として伝えられているのです。

八岐大蛇は「龍」とは書かれず、大蛇として登場します。

オオモノヌシも、『古事記』では蛇と明記されていませんが、
戸の鍵穴を通ったことから、蛇の姿が暗示されています。

『日本書紀』では、小蛇や大蛇の姿でも語られます。

原典に「龍」と書かれている存在だけを探すと、
日本神話の龍の世界は小さく見えてしまいます。

一方で、大蛇や蛇神をすべて龍だと決めつけるのも正確ではありません。

それぞれの違いを知ったうえで、水、雨、海、山、蛇、命の系譜など、
龍と重なる性質を見ていく必要があります。

龍・大蛇・蛇神・ワニ・海神の違い

それぞれの言葉の意味を比べてみましょう。

呼び方基本的な意味日本神話での現れ方
空や水を行き来し、雨や雲を動かす神聖な存在『日本書紀』では、豊玉姫が出産時に龍の姿になります
大蛇巨大な蛇八岐大蛇のように、自然の力や災害を思わせる存在として現れます
蛇神蛇の姿や性質を持つ神水、山、雷、豊穣、生命力、再生などと結びついています
ワニ『古事記』の海の物語に登場する生き物現在のワニ、サメ、神話上の海の生き物など、複数の見方があります

これらは同じ存在ではありません。

一般的な説明では「ワニ」と記しますが、
「八尋和邇」のような神話上の固有の表現は漢字のまま残します。

龍・大蛇・蛇神・ワニは、原典上は別の呼び方です。
水を動かすこと、姿を変えること、異界を行き来することなど、重なる性質を比較して読み解きます。

けれども、

  • 水を動かす
  • 姿を変える
  • 異なる世界を行き来する
  • 命や豊かさをもたらす

という点では、互いに重なる部分があります。

日本の蛇神・水神信仰と龍の重なり

金運上昇の象徴とされる、蛇の紋様が浮かぶ金蛇水神社の蛇紋石

日本では古くから、蛇や水を神聖なものとして敬う信仰がありました。

蛇は地を這い、水辺や岩の間に姿を現し、脱皮を繰り返します。
そのため、水、山、雷、豊穣、生命力、再生などと
結びつけて受け取られてきました。

その後、中国から伝わった龍の姿や、仏教の龍王・ナーガの考え方が、
日本に古くからあった蛇神や水神の信仰と重なっていきます。

日本神話に登場する大蛇・水神・海神と、
後世に広がった龍神信仰は、まったく同じものではありません。
けれども、水や雨を司り、人々の暮らしや命を支える存在として、
互いに重なる部分があります。

日本神話にさまざまな姿が混在しているのは、
龍という存在が、最初から一つの決まった姿だけで受け継がれてきたのではないからでしょう。

私は龍を描く中で、龍は一つの決まった形を持つ生き物というより、
水・雲・風・渦の動きとして現れる存在だと感じてきました。

異なる姿や名前の神々の奥に、同じ命の流れが見えてきます。

のりこ
龍を描いていると、龍は決まった形よりも、水や雲、風、渦の動きとして現れる存在だと感じます。
【天と地の最強エネルギー】龍蛇神とは?出雲、三輪、白蛇で流れを変える開運法アイキャッチ
この章のまとめ
日本神話の龍は、「龍」と明記された姿だけでなく、大蛇、蛇神、水神、海神、ワニなど、さまざまな姿や性質の中に現れます。それぞれの違いを知りながら、水や命をめぐらせる共通の力に目を向けることで、日本神話の龍の世界が見えやすくなります。

国生み以前の神々と龍の始まり

ザナギとイザナミが現れる以前の神々、龍が光と水が渦巻き世界で生まれようとする日本神話のイメージ
この章で分かること
・日本神話の始まりに描かれる、まだ形の定まらない世界
・天地開闢から伊邪那岐命・伊邪那美命までの流れ
・天沼矛によって淤能碁呂島が生まれる場面
・国土が生まれる前の世界を描いたときに感じた「渦」
・神々は人の姿ではなく、龍のような存在だったのではないかという私の想像

日本神話の始まりには、まだ龍も人も、
山や海さえも、今のような形では現れていません。

そこにあるのは、天地が分かれ、
神々が次々と現れていく、形になる前の世界です。

天地開闢から伊邪那岐命・伊邪那美命まで

天地開闢とは、天と地が分かれ、世界が始まる場面です。

最初の神々は、何かを話したり、
道具を持って歩いたりする姿では描かれていません。

現れて、身を隠します。

その後、神世七代では、一柱で現れる神から、
男女一対で現れる神へと移っていきます。

そして最後に現れるのが、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと=イザナギ)と
伊邪那美命(いざなみのみこと=イザナミ)
です。

イザナギとイザナミは、
天つ神から国土を整える役目を受け、国生みと神生みを始めます。

この記事では、神世七代の神名を一柱ずつ詳しく解説するのではなく、
形の定まらない世界から、輪郭を持つ神々と国土が現れてくる流れに注目します。

天沼矛から淤能碁呂島が生まれるまで

『古事記』では、イザナギとイザナミが天の浮橋に立ち、
天沼矛で海をかき回します。

矛を引き上げたとき、先から滴り落ちた潮が積もって、
淤能碁呂島が生まれました。

そこから二柱は国生みを始め、日本の島々を生み出していきます。

つまり、それ以前の地上には、
私たちが知るような島々や国土が、まだ形づくられていませんでした。

天と地、海と陸の境界も曖昧で、地上そのものが
大きな渦やうねりのように動いている世界だったのではないでしょうか。

国生み以前の世界を描いて感じた「渦」

私が、シュタイナー教育の国語で『古事記』を扱い、
実際に絵を描いたときの体験です。

イザナギとイザナミが現れる以前の世界を描いているとき、
私の中には、天と地の境も、海と陸の境も、
まだはっきりしていない景色が浮かびました。

私が「渦」を感じたのは、神さまの姿ではありません。

まだ国土が生まれる前の、形の定まらない地上世界です。

そこには、海とも陸とも言い切れないものが、
大きくうねりながら動いているように感じられました。

国生み以前の世界に降り立つ神々は龍だったのか

そして、その形の定まらない世界へ降り立つ神々も、
現在の人間のような姿ではなかったのではないかと思いました。

人の姿になる前の、長くしなやかに動く存在。
空と水の間を行き来し、渦巻く地上の力と響き合う存在。

それは、龍のような姿だったのではないでしょうか。

そう思うと、私の中でイメージがどんどん膨らみ、
なんだかワクワクしてきました。

のりこ
形の定まらない世界へ降り立つ神々を思い描くと、人の姿よりも、自然の流れに近い龍の姿が浮かびました。
神々が龍の姿だったという記述は、『古事記』の原典にはありません。
ここからは、国生み以前の世界を描いたときに浮かんだ筆者自身の想像です。

ただし、これはあくまで私自身の想像です。

授業では、生徒にはそのことを伝えず、
『古事記』に書かれている物語をもとに進めました。

まだ海と陸が分かれず、形も名前も定まっていない世界。

そこへ降り立つ神々の姿を思い描いたとき、
私は人の姿よりも、自然の流れに近い龍の姿を感じました。

この章のまとめ
日本神話の始まりには、現在のような形を持つ世界が現れる前の、
渦やうねりに満ちた世界が描かれています。

その世界へ降り立つ神々を思い描いたとき、
私は人の姿よりも、自然の流れに近い龍のような存在を感じました。

八岐大蛇は龍なのか

スサノオとヤマタノオロチ
スサノオとヤマタノオロチ
この章で分かること
・八岐大蛇が原典では龍ではなく大蛇として描かれること
・須佐之男命が八岐大蛇を退治するまでの流れ
・八岐大蛇と川の氾濫を重ねる見方
・八つの分岐と九頭龍を結びつける考え方
・草薙剣が尾から現れた場面で私が感じた疑問

八岐大蛇は、『古事記』と『日本書紀』では
龍ではなく、大蛇として登場します。

そのため、原典上は「八岐大蛇=龍」とは言えません。

けれども、巨大な蛇身を持ち、山や谷、水の流れを覆う姿には、
東洋の龍と重なるものがあります。

須佐之男命と八岐大蛇の神話

須佐之男命(すさのおのみこと=スサノオ)は、
高天原を追われ、出雲の肥河の上流へ降り立ちます。

そこで、泣いている老夫婦と、
その娘・櫛名田比売命(くしなだひめのみこと=クシナダヒメ)に出会いました。

夫婦には、もともと八人の娘がいました。
しかし毎年、八岐大蛇が現れ、一人ずつ食べてしまいました。

最後に残ったクシナダヒメも、まもなく大蛇に食べられるというのです。
スサノオは、クシナダヒメとの結婚を条件に、大蛇退治を引き受けます。

強い酒を用意させ、八岐大蛇に飲ませ、酔って眠ったところを
十拳剣で切り散らしました。

そして尾を切ったとき、剣の刃が欠けます。
尾の中を確かめると、一振りの太刀が入っていました。
それが、後に草薙剣と呼ばれる剣です。

荒ぶる力が、守る力へ変わった須佐之男命

高天原のスサノオは、激しく荒ぶり、
周囲を傷つける神として描かれます。

けれども、地上へ降りた途端に、
別の優しい神さまへ入れ替わったわけではありません。

八岐大蛇を切り散らす姿には、
高天原で暴れていたころと同じ激しさが残っています。

変わったのは、力そのものではなく、力の向かう先です。

高天原では周囲を傷つけていた荒々しいエネルギーが、
地上では八岐大蛇を倒し、クシナダヒメを守る力として使われました。

荒ぶる力そのものが悪いのではありません。

どこへ向けるかによって、破壊する力にも、
誰かを守り、新しい道を切り開く力にもなります。

私は、スサノオの激しいエネルギーが消えたのではなく、
守る力へ変わったのだと思うと、少し安心しました。

同じ力を持ったまま、その力を生かす場所を見つけたのです。

八つの頭と尾を持つ大蛇と川の流れ

山あいを流れる八本の支流と大蛇の身体を重ねます。水辺には八つの酒甕、奥には草薙剣を思わせる金色の光でヤマタノオロチと自然のイメージを表している。

八岐大蛇の姿には、次のような特徴があります。

  • 体には杉や檜、苔が生えている
  • 腹は血でただれている
  • 体は八つの谷と八つの山にわたる

もはや一匹の動物というより、山や川を含む巨大な自然そのものです。

八岐大蛇を、斐伊川の氾濫や、
いくつもの支流を持つ川の姿と重ねる見方があります。

大蛇の八つの頭と尾を川の流れに、
赤くただれた腹を洪水や鉄分を含んだ水に重ねる解釈です。

八岐大蛇を川の氾濫や支流の姿と重ねる説明は『古事記』に書かれているわけではありません。
後世の解釈の一つです。

ただ、くねりながら進む蛇の姿と、
山あいを流れる川は、昔から重ねて感じられてきたのかもしれません。

「八つの股」なら頭は九つ?九頭龍とのつながり

八岐大蛇について、もう一つ興味深い疑問があります。

「八岐」や「八俣」は、八つに分かれた股や分岐を表します。

ところが、一本の流れが八か所で枝分かれするなら、
先端は九つになるのではないでしょうか。

原典には、八岐大蛇は「一つの体に八つの頭と八つの尾を持つ」と、
はっきり書かれています。

その一方で、「八つの股」という名前から考えると、
九つの頭を持つ九頭龍の姿が浮かびます。

八岐大蛇と九頭龍は、
もともと重なる存在だったのではないかという説もあります。

私はこの話を知ったとき、
「なるほど。八つの分かれ目なら、その先は九つになる」
と、とても納得しました。

原典の八頭八尾と、名前の形から浮かぶ九頭龍。

この少し不思議な食い違いも、神話を読む面白さの一つです。

のりこ
「八つの分かれ目なら、その先は九つになる」と考えると、九頭龍の姿が浮かび、とても納得しました。

尾の中から草薙剣が現れた不思議

八岐大蛇の物語を詳しく読んで、私は少し驚きました。
私は以前、スサノオが八岐大蛇の八つの首を切り、
大蛇を退治したのだと思っていました。

けれども『古事記』には、大蛇を「切り散らした」と書かれています

首を切っただけではなく、巨大な大蛇の体を細かく切っていったのです。

そして、その中の尾を切ったとき、スサノオが持っていた剣の刃が欠けました。
不思議に思って尾を刺し割ってみると、その中から一振りの太刀が現れます。

「首だけではなく、尾まで切っていたんだ」
私はまず、そこに驚きました。

大蛇を確実に退治するために、体を細かく切る必要があったのでしょうか。
原典には、スサノオがなぜ尾まで細かく切ったのかは書かれていません。

ただ、尾を切ったときに初めて剣の刃が欠けたため、
中に何かがあると気づきました。

大蛇を退治する出来事の中から、
後に三種の神器の一つとなる剣が現れる。

この思いがけない展開にも、日本神話の不思議さを感じます。

この章のまとめ
八岐大蛇は古事記では龍ではなく大蛇ですが、山や谷、川を覆う巨大な姿には、
龍や荒ぶる自然の力と重なるものがあります。

スサノオの力が守る方向へ向かったことや、
尾から草薙剣が現れる展開にも、この神話の大きな転換が表れています。

高龗神と闇龗神に見る日本の水の龍神

高龗神と闇龗神が共存している風景。どちらも雨と水源が人々の暮らしを支えている。
この章で分かること
・高龗神と闇龗神が原典のどこに現れるのか
・火の神の血から水神が生まれる場面
・高龗神と闇龗神の名前に表れる水との関わり
・二柱に重なる雨・水・水源の力
・丹生川上神社と貴船神社で感じた水の聖域

タカオカミとクラオカミは、名前も読み方も難しく、
神話の中での登場も短い神さまです。

どこに登場し、どのように生まれた神なのかを知ると、
二柱の水神としての姿が見えやすくなります。

『古事記』『日本書紀』に登場する水の龍神

タカオカミとクラオカミは、
『古事記』や『日本書紀』の物語の中で、
長く活躍する神ではありません。

登場するのは、
イザナミが火の神・迦具土神(かぐつちのかみ=カグツチ)を産み、
亡くなったあとの場面です。

悲しんだイザナギは、十拳剣でカグツチを斬ります。

そのとき、剣についた血から、多くの神々が生まれました。

『古事記』では、剣の柄に集まった血が
イザナギの指の間から流れ落ち、
闇淤加美神と闇御津羽神が生まれます。

一方、『日本書紀』では、
本文とは異なる伝承を記した「一書」の中に、
クラオカミとタカオカミがそれぞれ登場します。

つまり、タカオカミとクラオカミは、
『古事記』『日本書紀』の同じ場面で、
二柱そろって現れる神ではありません。

書物や伝承によって、神名や生まれ方が少しずつ異なります。

登場する場面は短いものの、
火の神の血から水の神が生まれるところには、
不思議な対比があります。

激しく燃える火と、それを鎮める水。

命を奪う剣と、そこから生まれる新しい神々。

イザナギの悲しみと怒りの中から、
後に人々の命を支える水の龍神が現れました。

高龗神と闇龗神に表れる天と地の水

「龗」という字には「龍」が含まれ、水や雨を司る龍神を表します。

「龗」は、雨や水に関わる龍神を表す難しい漢字です。
高龗神と闇龗神は、原典によって神名や登場の仕方が異なります。

高」からは、山や空、高い場所を連想できます。

「闇」は、暗いという意味だけではなく、
谷あいや奥深い場所、水源のある場所を思わせます。

高い山へ降る雨と、谷の奥から流れ出す水。
別々に見える二つの水は、やがて川となり、海へ注ぎます。

高い場所から降りてくる水。
地の奥、谷や源流から現れる水。
働く方向は違っても、どちらも命を育てる同じ水です。

比較項目高龗神闇龗神
名前から浮かぶ場所高い山・空・雨谷・奥深い場所・水源
共通する力雨・水・水源雨・水・水源
水の動きとして見える方向天から降りる力地から支える力

これは、タカオカミが空だけ、
クラオカミが地だけを担当しているという意味ではありません。

二柱を並べたときに見えてくる、水の異なる方向性です。

天と地の両方があって、水はめぐります。

丹生川上神社と貴船神社で感じる水の聖域

タカオカミやクラオカミにゆかりのある神社として、
丹生川上神社三社や貴船神社があります。

これらの神社には、水神を祀る場所としての共通点があります。

けれども、実際に訪れると、どこも同じではありません。
私は、それぞれの神社に、その土地にしかない独特のエネルギーを感じました。

水の清らかさ。
源流の静けさ。
山や谷を包む、澄んでいるのに力強い気配。

ただ美しい場所というだけではなく、
「ここには神さまが確かにいらっしゃる」
と感じるような聖域です。

静かな場所なのに、エネルギーが弱いわけではありません。
むしろ、音や言葉を超えて、土地そのものが力を持っていると感じます。

のりこ
丹生川上神社三社や貴船神社では、同じ水神の聖域でも、土地ごとに異なる静けさと力強さを感じました。
この章のまとめ
高龗神と闇龗神は、原典によって登場の仕方が異なりますが、どちらも雨や水源に関わる水の龍神です。火の神の死と剣の血から水神が生まれる場面には、失われた命から新しい命の力が現れる神話の不思議があります。

大物主神と三輪山に現れる蛇と龍

古い鳥居や杉の木、山の麓に白蛇または金色の蛇の気配
この章で分かること
・大物主神が蛇の姿と結びつく理由
・三輪山そのものを巨大な大蛇と感じた体験
・登拝口で感じた、山とは別の蛇の気配
・大直禰子神社で感じた蛇の存在
・三輪から橿原へ続く土地に感じた鳳凰

オオモノヌシは、三輪山に鎮まる神です。

『古事記』では蛇と明記されていませんが、戸の小さな鍵穴を通ったことから、蛇の姿が暗示されています。

『日本書紀』では、小蛇や大蛇の姿でも伝えられています。
私が三輪山で感じるオオモノヌシの力は、日常で出会う蛇の印象とは大きく違います。

蛇の姿でも伝えられる大物主神

オオモノヌシは、
大国主神(おおくにぬしのかみ=オオクニヌシ)が
国作りに悩んでいたとき、海を照らしながら現れます。

そして、自分を倭の青垣の東の山へ祀れば、
国作りはうまくいくと告げました。
その神さまが祀られた場所が、
御諸山、現在の三輪山と伝えられています。

別の物語では、オオモノヌシは夜ごと女性のもとへ通います。

家族が神の正体を知るため、衣へ糸をつけると、
その糸は戸の鍵穴を通り、三輪山の社へ続いていました。

『古事記』では、オオモノヌシの姿そのものを
直接「蛇」とは書いていません。
けれども、小さな鍵穴を通ったことから、
蛇の姿だったと考えられています。

『日本書紀』では、小蛇や大蛇の姿でも語られます。

オオモノヌシは、山の神、水の神、雷の神、蛇神など、
いくつもの性質が重なる神です。

蛇という一つの姿だけでは表しきれない、自然の大きな力を持つ神なのでしょう。

三輪山そのものが、とぐろを巻いた大蛇

私には、三輪山に蛇が住んでいるというより、
三輪山そのものが、とぐろを巻いた巨大な大蛇のように感じられます。

それは、草むらから現れる身近な蛇の気配とは違います。

山そのものが御神体であり、
長い時間、土地と人々を見守ってきた大きな神の姿です。
オオモノヌシには、非常に神格が高く、大らかで、広く包み込むようなエネルギーを感じます。
「蛇の神さま」という言葉だけでは、小さくまとまりすぎてしまいます。

三輪山の大蛇は、山を抱き、土地を守り、空へも続いているような存在です。

地を這うだけではなく、山そのものとして地上に鎮まりながら、
空や雲、水の流れにもつながっている。

その姿は、蛇でありながら、龍にも重なります。

のりこ
私には、三輪山に蛇が住んでいるというより、山そのものが、とぐろを巻いた巨大な大蛇のように感じられます。

登拝口で感じた、山とは別の大きな蛇

三輪山については、以前から山全体が、
とぐろを巻いた巨大な蛇のようだと感じてきました。

けれども、三輪山の登拝口で、それとは別の大きな蛇の姿を感じたことがあります。

登拝口の近くに、一匹の大きな蛇がいるようにはっきりと感じたのです。

いつも感じていた「山全体が蛇」という姿とは違い、
山の入口を守る存在のように見えたため、驚きました。

これまで三輪山を訪れたときは、登拝できない期間と重なり、
まだ山へ登ったことはありません。

いつか登拝できる機会が訪れたら、山の中ではどのような気配を感じるのか、
静かに確かめてみたいと思っています。

大直禰子神社で感じた蛇の気配

大神神社の摂社・大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)は、
若宮とも呼ばれています。

御祭神は、オオモノヌシの子孫とされる大直禰子命(おおたたねこのみこと)です。

はこの場所で、三輪山全体に感じる巨大で大らかな蛇とは違う、
現実にいるような蛇の気配を感じました。

同じ神域であっても、場所によって現れる気配は違います。

三輪山全体には、山そのものとして鎮まる大きな大蛇。
大直禰子神社では、もう少し身近で、はっきりとした蛇の存在。

私はそのように受け取っています。

三輪から橿原へ続く土地に感じる鳳凰

奈良の三輪から山の辺の道、さらに橿原へと続く一帯を訪れると、
私は空に鳳凰が優雅に舞うような、広く伸びやかな気配を感じます。

三輪山の近くでは、蛇や龍だけではなく、
鳳凰も空を飛んでいるように感じます。

地を抱く大蛇。
土地と空をつなぐ龍。
さらに高い空を優雅に舞う鳳凰。

それぞれは別の姿ですが、
一つの大きな神域の中で調和しているように見えます。

三輪山で感じた三つの蛇の気配

  • 三輪山全体:山そのものとして鎮まる、巨大で大らかな大蛇
  • 登拝口:山の入口を守っているように感じた、大きな蛇
  • 大直禰子神社:より身近で、はっきりと存在を感じる蛇

同じ三輪の神域でも、私が感じた蛇の姿や距離感は、それぞれ異なっていました。

大物主神をご祭神とする大神神社の公式サイトでは、
三輪山信仰について詳しく紹介されています。

大神神社(公式)

この章のまとめ
オオモノヌシは蛇の姿と深く結びつきますが、三輪山で感じる力は、身近な蛇だけでは表しきれない大きなものです。私は三輪山全体、登拝口、大直禰子神社で異なる蛇の気配を感じ、そのすべてが山・水・空へつながる龍の姿と重なるように受け取っています。

海幸彦・山幸彦と海神・大綿津見神の宮

珊瑚や貝、ゆらめく海草に囲まれた神秘的な宮のそばに龍がいる。中央または手前には、潮満珠・潮乾珠を思わせる二つの宝珠。片方は満ちていく水、もう片方は引いていく水をまとっている
この章で分かること
・海幸彦と山幸彦が道具を交換したことで始まる物語
・塩椎神が山幸彦を海神の宮へ導いた役割
・海神・大綿津見神が持つ力
・山幸彦が天孫族と海神の一族を結んだこと
・潮満珠・潮干珠と、住吉大社で感じる海の気配

海幸彦(うみさちひこ=ウミサチヒコ)と
山幸彦(やまさちひこ=ヤマサチヒコ)の物語
は、
兄弟が道具を交換し、ヤマサチヒコが兄の釣針をなくしたことから始まります。

けれども、この物語は、単なる兄弟げんかではありません。

山に生きる神が海神の宮へ入り、海の知恵と力を受け取り、
天孫族と海神の一族を結ぶ物語です

釣針をなくした山幸彦

ウミサチヒコは、海の獲物を得る道具を持っていました。
ヤマサチヒコは、山の獲物を得る道具を持っていました。

ヤマサチヒコは、互いの道具を交換してみたいと頼みます。
ところが、兄から借りた釣針を海でなくしてしまいました。

自分の剣を砕き、たくさんの釣針を作って返しても、ウミサチヒコは受け取りません。

「なくした元の針を返してほしい」

そう言われたヤマサチヒコは、海辺で途方に暮れます。

そこで現れたのが、塩椎神(しおつちのかみ)です。
ヤマサチヒコのために船を作り、海神の宮へ向かう道を教えました。

私は親しみを込めて、塩椎神を「塩じい」と呼んでいます。

塩じいは、困っているヤマサチヒコを責めるのではなく、
次へ進む方法を具体的に教えてくれる、頼れる知恵者です。

ただし、この物語の中心となるのは、
シオツチノカミではありません。

シオツチノカミは、ヤマサチヒコを海神の世界へ導く案内役です。

その先でヤマサチヒコを迎えるのが、
海神・ワタツミです。

海神・大綿津見神と海神の宮

ワタツミは、海神の宮を治める神です。
ワタツミは、海そのものを司る神として現れます。
海神の宮には、地上とは異なる豊かな世界が広がっています。

ワタツミはヤマサチヒコを客人として迎え、娘のトヨタマヒメと結婚させました。

また、海の魚たちを集め、なくした釣針を探し出します。

釣針をのどに引っかけていた魚が見つかると、
ワタツミはその針をヤマサチヒコへ返しました。

ワタツミは、海の世界を治めるだけではありません。

海の生き物を集め、失われたものを探し、潮の動きを操る珠を授け、ヤマサチヒコを地上へ送り返します。

海の命、潮の満ち引き、海と陸を行き来するための知恵を持つ神です。

海神ワタツミの宮は、後の昔話に登場する
「竜宮城」の原型の一つともいわれています。

海神の宮は、後世の竜宮城の原型の一つと考えられていますが、『古事記』『日本書紀』に「竜宮城」という名称は登場しません。
  • 海の底にある豊かな宮殿
  • 海神の娘との結婚
  • 地上とは異なる世界

こうした物語が、後世の竜宮城のイメージへつながっていったのでしょう。

天孫族と海神を結んだ山幸彦

ヤマサチヒコは海神の宮を訪れ、トヨタマヒメと結ばれます。

この結婚によって、天照大御神から続く天孫族と、
ワタツミの一族が結ばれました。

ヤマサチヒコは、山と海を行き来した神であるだけではありません。
天の神々の系譜と、海神の系譜を結ぶ役目を担った神でもあります。

このつながりは、トヨタマヒメが産む御子を通して、
後に神武天皇(じんむてんのう)へ受け継がれていきます。

ここでは系譜の詳しい流れには立ち入らず、
ヤマサチヒコとトヨタマヒメの結婚によって、
天孫族と海神の一族が結ばれたことを確認しておきます。

潮満珠・潮干珠が表す海の力

ワタツミはヤマサチヒコへ、釣針とともに、
潮を満たす珠と潮を引かせる珠を授けます。

潮満珠と潮干珠です。

兄が攻めてきたときには潮を満たして苦しめ、
謝ったときには潮を引かせて助けます。

二つの珠には、対になる力があります。

  • 満ちる力と、引く力
  • 増やす力と、減らす力
  • 前へ出る力と、静かに退く力
  • 何かを始める時間と、立ち止まって力を蓄える時間

満ちる力だけでも、引く力だけでも、海の循環は成り立ちません。
二つがそろうことで、海の大きなリズムが生まれます。

私たちの暮らしにも、満ちるときと引くときがあります。
何かを始めるときもあれば、一度立ち止まり、力を蓄えるときもあります。

どちらも必要な時間です。

私は潮満珠と潮干珠の物語に、増やすことだけを求めるのではなく、
引くことや休むことも大切にする、海の知恵を感じています。

のりこ
満ちることだけでなく、引くことや休むことも海の循環には必要です。潮の珠の物語に、暮らしを整える知恵を感じます。

海のない場所で海を感じる住吉大社

潮満珠潮干珠お守り 住吉大社

海のそばではないのに、不思議と海を感じる神社があります

私にとって、その代表が住吉大社です。

現在は、境内のすぐ前に海が広がっているわけではありません。
けれども、住吉大社は、かつて海岸近くにありました。
境内へ入ると、今も海の風や潮の動きにつながるような気配があります。

住吉大社には、潮満珠潮干珠守というお守りがあります。
そして摂社の大海神社には、豊玉彦と豊玉姫が祀られています。

社前の「玉の井」には、
ヤマサチヒコが海神から授かった潮満玉を沈めたという伝承も残っています。

海が見えなくても、海幸彦・山幸彦の神話や、
海神の宮の気配を感じられる場所です。

私は神功皇后にもご縁を感じているため、住吉大社は好きな神社の一つです。
第四本宮には、神功皇后が祀られています。

境内の楠珺社には、樹齢千年を超える大楠があります。

この大楠には蛇がいると伝えられています。
私が参拝したときには、卵をお供えする方の姿も見られました。

住吉大社は海の神社でありながら、
海神、龍、蛇、大木、神功皇后など、
いくつもの力が重なっているように感じます。

住吉大社の由緒や海との深い関わりもあわせてご覧ください。
住吉大社(公式)

この章のまとめ
山幸彦は海神の宮へ導かれ、海の知恵と力を受け取ることで、天孫族と海神の一族を結びました。
潮満珠と潮干珠の物語には、満ちることと引くことの両方を大切にする海の循環が表れています。

豊玉姫は和邇か龍か

月明かりの浜辺に産屋があり、その向こうの海に、巨大な和邇とも龍とも見える神秘的な姿が浮かんでいるのを豊玉姫が見ている
この章で分かること
・豊玉姫が『古事記』では八尋和邇、『日本書紀』では龍とされること
・山幸彦との結婚と出産の物語
・八尋和邇が表す巨大さ
・ワニと龍に共通する、水と陸の境界性
・「見るなの禁」と、海神の命が残された流れ

トヨタマヒメは、『古事記』では八尋和邇(やひろわに)、
『日本書紀』では龍の姿で伝えられています。
同じ海神の娘が、異なる姿で語り継がれているのです。

私は、ワニと龍はまったく別の存在ではなく、
海の神聖な力を表す姿だと感じています。

山幸彦との結婚と、本来の姿で迎えた出産

ヨタマヒメは、海神の宮を訪れたヤマサチヒコと出会い、結婚します。

ヤマサチヒコが地上へ帰ったあと、
トヨタマヒメは子を宿していることを伝えるため、
海から陸へやってきます。

天つ神の御子を海で産むことはできないとして、
海辺に産屋を建てさせました。

出産を前に、トヨタマヒメはヤマサチヒコへ告げます。

自分たちの国の者は、子を産むときに本来の姿へ戻る。
だから、決して見ないでほしい。

ところがヤマサチヒコは、約束を破って産屋の中をのぞきます。
そこには、人の姿ではないトヨタマヒメがいました。

『古事記』では八尋和邇。
『日本書紀』本文では龍です。

トヨタマヒメは、本来の姿を見られたことを恥じ、
海と陸の境を閉ざして海神の国へ帰ります。

しかし、ヤマサチヒコへの思いをすべて失ったわけではありません。

生まれた御子を育てるため、
妹の玉依姫(たまよりひめ=タマヨリヒメ)を送り、
ヤマサチヒコへ歌を贈りました。

『古事記』の八尋和邇と『日本書紀』の龍

原典出産時の姿主な表現
『古事記』八尋和邇巨大なワニとなり、這い回る
『日本書紀』本文龍の姿で出産する
『日本書紀』一書大きな鰐異なる伝承が記されている

「尋」は、大人が両腕を左右へ広げたときの長さを表す古い単位です。

神話に登場する「八」は、正確な数を示すというより、
「非常に大きい」「数え切れないほど多い」という意味で使われることがあります。

そのため八尋和邇は、現代の長さへ正確に換算できる生き物というより、
海を覆うほど巨大な神聖なワニの姿を表しているのでしょう。

トヨタマヒメは海神の娘です。

人の姿で陸の世界へ現れ、命を産むときに海の本来の姿へ戻ります。
その姿が、ワニであり、龍でもあるのです。

ワニと龍の姿に感じる共通点

私は、ワニと龍はまったく別の存在ではないと感じています。
姿の違いをあえて挙げるなら、尾の長さが違うくらいではないでしょうか。
龍を描く私の感覚です。

龍が天と水のある場所を行き来する存在なら、
現在私たちがイメージするワニは、水と地上の両方で暮らす存在です。

ワニは水中を泳ぎ、陸へ上がって過ごします。

その姿には、水の世界と地上の世界の境界に立つ性質があります。

海と陸・神と人の境界に立つ豊玉姫

トヨタマヒメが生きた物語も、ちょうど二つの世界が重なる場所にあります。

海神の宮という神さまの世界と、ヤマサチヒコが暮らす地上の世界。
神々だけの物語から、少しずつ人の時代へ移っていく世界です。

トヨタマヒメは海神の娘でありながら、地上へ来て子どもを産みます。
しかし、本来の姿を見られたことで、海へ帰らなくてはなりませんでした。

私はこの物語に、二つの世界が混じり合っていた時代から、
どちらの世界で生きるのかを決めなければならない時代へ
移る境目を感じます。

海と陸。
神と人。
異界と現実。

トヨタマヒメは、その境界に立つ神さまだったのではないでしょうか。

見るなの禁と、残された命のつながり

「決して見ないでください」という約束を破ったことで、
二つの世界が分かれてしまう物語は、日本の神話や昔話に繰り返し現れます。

イザナギは、黄泉の国でイザナミの姿を見てしまいます。
このような物語の形は、「見るなの禁」と呼ばれています。

トヨタマヒメの物語も、日本の「見るなの禁」を代表する古い神話の一つです。

二つの世界は触れ合うことができても、
すべてを一つにすることはできない。

トヨタマヒメの物語には、その美しさと切なさがあります。

けれども、別れたあとも御子は残り、
タマヨリヒメが命を育てます。

海と陸の道は閉ざされても、命のつながりは消えませんでした。

この章のまとめ
豊玉姫は、『古事記』では八尋和邇、『日本書紀』では龍として語られます。
海と陸、神と人の境界に立つその姿は、二つの世界が分かれても、命のつながりは残ることを伝えています。

因幡の白兎に登場する和邇も龍なのか

青い海に、島から岸へ続く和邇の背中が並び、その上を白兎が軽やかに渡っている。背景に龍を思わせる遠くの波や雲の形が見える
この章で分かること
・因幡の白兎に登場する和邇の役割
・和邇をワニやサメとする複数の見方
・豊玉姫の八尋和邇との共通点
・海の和邇を神聖な存在と考える可能性
・海に並んだ和邇も龍だったのではないかという私の想像

因幡の白兎にも、トヨタマヒメと同じ「和邇」が登場します。

因幡の和邇が龍だったとはどこにも書かれていません。

ただ、トヨタマヒメがワニと龍の両方で語られることを知ると、
海に並んだワニたちも違った姿に見えてきます。

白兎が和邇の背を渡った物語

白兎は、島から因幡へ渡るために、海のワニたちをだまします。

兎とワニのどちらの仲間が多いか数えたいと言い、
ワニたちを島から岸まで一列に並ばせました。

白兎は、その背中を一匹ずつ飛び渡ります。

ところが、岸へ着く直前、本当は海を渡るために利用したのだと話してしまいます。
怒った最後のワニは、白兎の皮をはいでしまいました。

傷ついた白兎へ、正しい治し方を教えたのが、
大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)です。
大穴牟遅神は、後のオオクニヌシです。

この物語では、オオクニヌシの優しさに注目が集まります。
けれども、海にずらりと並ぶワニたちも、かなり不思議な存在です。

言葉を理解し、集団で並び、島と陸の間に道を作ります。

和邇はワニ・サメ・海の神聖な存在のどれなのか

因幡の白兎に登場する和邇についても、
現在のワニを表すという説や、サメを表すという説があります。

日本の海に爬虫類のワニが一般的に生息していないことや、
サメを「ワニ」と呼ぶ地域があることから、サメを表すと説明されることがあります。

現実の海の生き物として考えるなら、サメという説明はわかりやすいでしょう。
けれども、神話の中の和邇を、現代の動物名だけで説明しきれるとは限りません。

トヨタマヒメも、『古事記』では八尋和邇です。

海神の娘の本来の姿と、白兎を海の向こうへ運ぶ存在に、
同じ言葉が使われています。

和邇は、現実の海の生き物をもとにしながら、
海の異界に属する神聖な存在として語られていたのかもしれません。

海に並んだワニも龍だったのではないかという想像

因幡の白兎に登場する和邇が龍だったという記述は、原典にはありません。
以下は、豊玉姫の伝承から広げた筆者の想像です。

ここからは、龍を描く私の楽しい想像です。

トヨタマヒメが、『古事記』ではワニ、
『日本書紀』では龍であるなら、
因幡の白兎に登場するワニたちも、龍のような海の存在だったのではないでしょうか。

海の上に長い龍たちが一列に並び、
その背中を白兎が軽やかに飛び渡る。

そう想像すると、子どものころから知っている物語が、
急に大きな神話の景色へ変わります。

のりこ
海の上に龍のような和邇たちが並び、その背を白兎が渡る景色を想像すると、物語の世界が一気に広がります。

原典の和邇を龍へ書き換えるのではありません。

原典を読んだうえで、
「本当はどのような姿だったのだろう」

と想像を広げることも、神話を楽しむ方法の一つです。

この章のまとめ
因幡の白兎の和邇は、ワニやサメなど複数の見方がありますが、神話上の海の神聖な存在だった可能性もあります。
トヨタマヒメの八尋和邇と重ねて考えると、海に並んだ和邇を龍のような姿として想像する楽しさも生まれます。

海のワニへの想像から、もう一度、海神の娘たちが残した命の系譜へ戻ります。

海神から神武天皇へ|龍の系譜

@夜明け前の海の彼方から金色の光を宿した宝珠が現れ、その光を包むように、波が青白い龍の姿となって岸へ向かっています。その光へ向かって進む弓を携えた神武天皇の。静かな姿
この章で分かること
・豊玉姫から神武天皇へ続く系譜
・玉依姫が命を育て、次の時代へつないだ役割
・神武天皇が太陽と海の両方の系譜につながること
・神武天皇に尾や鱗があったという後世の伝承
・私たちも龍や海神の命につながっているという私の考え

ヨタマヒメの物語は、海へ帰って終わりではありません。

トヨタマヒメが産んだ御子は、
妹のタマヨリヒメによって育てられ、
その系譜は神武天皇へ続きます。

日本神話は、神さまだけの物語から、
少しずつ人の時代へ近づいていきます。

海神の娘たちから神武天皇へ

トヨタマヒメとヤマサチヒコの間に生まれたのが、
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと=ウガヤフキアエズ)です。

トヨタマヒメは海神の国へ帰るとき、
妹のタマヨリヒメへ御子の養育を託します。

成長したウガヤフキアエズは、タマヨリヒメと結ばれます。

二人の間に生まれた御子の一柱が、後の神武天皇です。

流れを簡単にまとめると、次のようになります。

海の神オオワタツミのから神武天皇までの系譜の画像
海の神オオワタツミのから神武天皇までの系譜

神武天皇の父方の祖母が豊玉姫、母が玉依姫です。

つまり神話上の系譜では、神武天皇は父方からも
母方からも、海神の娘へつながっています。

神話上の家系を単純な割合で見ると、
神武天皇は四分の三が海神の一族につながっていることになります。

私は日本人は天照大御神(あまてらすおおみかみ=アマテラス)の子孫であり、
太陽の系譜を受け継いでいるという印象を強く持っていました。

けれども、神武天皇の系譜をたどると、
海神の力もとても濃く受け継いでいます。

神武天皇は、太陽の子孫であり、
海の一族の子孫でもあるのです。

私はこのことを知ったとき、とても驚きました。

のりこ
太陽の系譜だけでなく、神武天皇には海神の力も濃く受け継がれていると知り、とても驚きました。

海を見ると、理屈では説明できない懐かしさを感じることがあります。

ただ景色が美しいから好きなのではなく、

「私はこの場所を知っている」

と体の奥が思い出すような感覚です。

そのため、私には海の一族の血が流れているのではないかと、以前から感じていました。

神武天皇に尾と鱗がある?

神武天皇に尾や鱗があったという話は、『古事記』『日本書紀』の記述ではありません。
後世の『先代旧事本紀大成経』に伝わる説として区別して紹介します。

神武天皇の身体には尾や鱗があったという話が、『先代旧事本紀大成経』に伝えられています。

ただし、これは『古事記』『日本書紀』に書かれた内容ではありません。

『先代旧事本紀大成経』は、後世に成立した書物であり、
偽書とする見方もあります。
一方で、その内容や後世の信仰・思想へ与えた影響について、
現在も研究が行われています。

そのため、神武天皇の姿について伝わる一つの説として、
記紀神話とは分けて受け取る必要があります。

神さまの時代から人の時代へ移っていく物語の中で、
神武天皇から、人間の歴史が始まったに感じます。

身体にはまだ尾や鱗という、
龍や海神につながるお印が残っていた、
という伝説がある。

神と人の境界は、ある日突然、
きっぱり分かれたのではないのかもしれません。

神さまの姿や力が少しずつ変わりながら、
人へ受け継がれていく。

その途中に神武天皇がいるように感じます。

私はこの話を知ったとき、とてもうれしくなりました。
海を見ると感じていた懐かしさが、
龍のエネルギーにつながっているように思えたからです。

神話をたどると、私たちも龍につながっている

龍は、一般には想像上の生き物と呼ばれます。

けれども、日本神話をたどると、
龍は遠い空想の世界だけにいる存在ではありません。

海神の娘であるトヨタマヒメとタマヨリヒメ。
そこからウガヤフキアエズ、神武天皇へ続く命の流れ。

神話の系譜は、神さまの世界から人の世界へ続いています。
その先に、今を生きる私たちがいます。

そう考えると、私たちもまた、
遠い神話の中で龍や海神につながっています。

私は、私たちも龍の子孫であり、
私たち自身も龍なのだと感じています。

水のようにめぐる力。
姿を変えながら生きる力。
苦しい出来事を越え、次の命へ受け継ぐ力。
天、山、川、海の流れのように、過去と未来を結ぶ力。

その龍の力は、私たちの中にもあります。

日本列島と赤と青の一対の龍アイキャッチ
この章のまとめ
海神の娘たちから受け継がれた命は、神武天皇を通して人の時代へつながっていきます。神話の系譜をたどると、太陽と海、神と人、龍と私たちの間に、途切れない命の流れが見えてきます。

私も、龍神様から感じたメッセージや、
そのときどきの祈りを、一枚の絵に込めて描いています。

この記事を通して龍の世界に心惹かれた方は、
龍神アートに込めている想いや、
これまでに生まれた龍神アートギャラリーも、ぜひご覧ください。
現在お迎えいただける作品は、公式ショップでご紹介しています。

まとめ|日本神話の龍は水と生命の循環に現れる

海から生まれた光が川を通り、山を巡り、一頭の龍となって朝日に向かって昇っていきます。手前には宝珠、遠くには鳥居が見える

日本神話の龍は、一つの決まった姿だけで現れるわけではありません。

大蛇、水神、蛇神、海神、和邇、
そして神々から人へ受け継がれる系譜の中にも、
その気配があります。

雨となって天から降り、山へ蓄えられ、川となり、海へ戻る

海の命を地上へ運び、
神さまの力を人の世界へ受け継ぐ。

私は、龍とは水と生命の大きな循環の中に
現れる存在なのだと感じています。

国生み以前の世界を描いたときに浮かんだ渦。
三輪山で感じた、とぐろを巻く大蛇。
海が見えない住吉大社で感じた海の気配。
トヨタマヒメから神武天皇へ続く海神の系譜

それらは別々の話に見えて、
私の中では一つの龍の流れへと重なっています。

その流れの先にいる私たちの中にも、姿を変えながら生き、
次の命へ力を受け継ぐ、龍のような力が流れているのではないでしょうか。

あなたの中に流れる龍の力は、どのような姿をしているでしょう。

インディゴの空に目を輝かせたインディゴの龍 龍神様とは何か?スピリチュアルな意味を説明

日本神話には、今回ご紹介した七つ以外にも、
水・山・海・龍と深く結びついた物語が数多く残されています。
気になる神様や神社があれば、
ぜひ公式資料や古事記や日本書紀にも触れながら、
自分だけの「龍の物語」を見つけてみてください。

日本神話の龍に関するよくある質問

日本神話に龍は何体登場しますか?

日本神話に登場する龍の数を、正確に一つへ決めることはできません。

『日本書紀』で龍の姿が明記されるトヨタマヒメのような神もいれば、
八岐大蛇、オオモノヌシ、タカオカミ、クラオカミなど、
龍と重なる姿や性質を持つ存在もいるからです。

大蛇や蛇神、水神、海神をどこまで龍に含めるかによっても、数は変わります。

この記事では、日本神話の龍や龍と重なる存在を、
7つの神話からたどりました。

八岐大蛇は龍ですか?九頭龍とも関係がありますか?

『古事記』『日本書紀』では、八岐大蛇は龍ではなく、大蛇として登場します。

また、『古事記』には、一つの体に八つの頭と八つの尾を持つと書かれています。

一方、「八岐」や「八俣」を八つの分岐と考えると、その先端は九つになるため、九頭龍と重ねる説もあります。

原典上は、八頭八尾の大蛇です。

九頭龍との関係は、名前の意味や形から生まれた興味深い見方といえるでしょう。

高龗神と闇龗神は同じ神ですか?

高龗神と闇龗神は、どちらも水や雨に関わる神ですが、原典での登場の仕方や神名は異なります。

『古事記』では闇淤加美神が現れ、『日本書紀』の一書には高龗神や闇龗神にあたる神が記されています。

後世の信仰では、同じ水神として重ねて受け取られることもあります。

二柱を並べると、高い場所から降る水と、谷や地の奥から現れる水のような違いが見えてきます。

ただし、これは二柱の役割を厳密に分ける説明ではありません。

大物主神は蛇ですか?龍ですか?

『古事記』では、オオモノヌシが蛇であるとは直接書かれていません。

しかし、小さな鍵穴を通ったことから、蛇の姿が暗示されています。

『日本書紀』では、小蛇や大蛇として現れる伝承があります。

原典上は蛇と深く関わる神ですが、三輪山、水、雷などの性質も持つことから、後世には龍神と重ねて信仰されることがあります。

私は、三輪山そのものが、とぐろを巻いた巨大な大蛇のように感じています。

海神の宮は竜宮城ですか?

『古事記』『日本書紀』に、「竜宮城」という名前が書かれているわけではありません。

ヤマサチヒコが訪れたのは、海神・ワタツミが治める海の宮です。

海の底にある豊かな異界、海神の娘との結婚、地上とは異なる世界といった共通点から、後の昔話に登場する竜宮城の原型の一つと考えられています。

豊玉姫はワニですか?龍ですか?

トヨタマヒメの姿は、原典によって異なります。

『古事記』では八尋和邇、『日本書紀』本文では龍、一書では大きな鰐の姿で伝えられています。

どれか一つだけが正しく、ほかが間違いということではありません。

同じ海神の娘が、異なる伝承の中で、ワニや龍の姿として語られているのです。

私は、ワニと龍はまったく別の存在ではなく、海の神聖な力を表す、重なり合う姿だと受け取っています。

因幡の白兎に登場する和邇はサメですか?

因幡の白兎に登場する和邇については、現在のワニを表す説と、サメを表す説があります。

日本の海に爬虫類のワニが一般的に生息していないことや、地域によってサメを「ワニ」と呼ぶことから、サメを指すと説明されることがあります。

ただし、神話の和邇を現代の動物名だけで完全に説明できるとは限りません。

海の神聖な生き物としての性質も含まれている可能性があります。

神武天皇に尾や鱗があったという話は本当ですか?

神武天皇に尾や鱗があったという話は、『古事記』『日本書紀』に書かれた内容ではありません。

後世に成立した『先代旧事本紀大成経』に伝えられている説です。

同書には偽書とする見方もありますが、その内容や後世の信仰・思想への影響については、現在も研究されています。

記紀に記された神武天皇の姿とは分けて、一つの伝承として受け取る必要があります。

参考資料|日本神話の龍をさらに知るために

この章で分かること
・龍と関係する神さまを祀る主な神社
・本文に登場する神さま・存在の読み方と役割
・海神から神武天皇へ続く系譜

龍と関係する神さまの神社一覧

※この記事に出てくる神さまと、関係ある神社を中心にまとめました。

神社で使用される御祭神名と、記紀の原典に見られる神名は、表記が異なる場合があります。この一覧では、原則として各神社の表記を優先しています。
神社名都道府県主な関係神・存在記事とのつながり
須佐神社島根県須佐之男命出雲神話、八岐大蛇退治
八重垣神社島根県須佐之男命・櫛名田比売命八岐大蛇退治後の物語
大神神社奈良県大物主神三輪山、蛇神、神体山信仰
大直禰子神社(若宮)奈良県大直禰子命大物主神の祭祀
丹生川上神社上社奈良県水神山、雨、水源
丹生川上神社中社奈良県水神源流、川、水の信仰
丹生川上神社下社奈良県闇龗神谷、水、雨
貴船神社京都府高龗神水源、雨、水の龍神
志賀海神社福岡県綿津見三神海神信仰、海の神
和多都美神社長崎県海神に関わる神々海神信仰
鹽竈神社宮城県鹽土老翁神山幸彦を海神の宮へ導く神
潮嶽神社宮崎県海幸彦海幸彦・山幸彦神話
鹿児島神宮鹿児島県山幸彦・豊玉姫海神の宮、二柱の結婚
豊玉姫神社鹿児島県豊玉姫命豊玉姫と海神の系譜
住吉大社大阪府住吉大神・神功皇后海神、潮の珠、豊玉姫
鵜戸神宮宮崎県鵜葺草葺不合命豊玉姫の御子
宮崎神宮宮崎県神武天皇海神の系譜から初代天皇へ
橿原神宮奈良県神武天皇神武天皇の即位伝承

この記事に登場する主な神さま・存在

神さま・存在読み方本文で使用する呼び方この記事での主な役割
伊邪那岐命いざなぎのみことイザナギ国生み・神生みを行う神
伊邪那美命いざなみのみことイザナミ国や神々を生み、黄泉の国へ向かう神
須佐之男命すさのおのみことスサノオ八岐大蛇を退治する神
櫛名田比売命くしなだひめのみことクシナダヒメ八岐大蛇から救われ、須佐之男命と結ばれる神
八岐大蛇やまたのおろち八岐大蛇八つの頭と尾を持つ巨大な大蛇
高龗神たかおかみのかみタカオカミ雨や水源に関わる水の龍神
闇龗神くらおかみのかみクラオカミ谷や水源に関わる水の龍神
大物主神おおものぬしのかみオオモノヌシ三輪山に鎮まり、蛇の姿でも伝えられる神
大国主神おおくにぬしのかみオオクニヌシ国作りを行い、大物主神を祀る神
海幸彦うみさちひこウミサチヒコ海の獲物を得る道具を持つ兄神
山幸彦やまさちひこヤマサチヒコ天孫族と海神の一族を結ぶ神
塩椎神しおつちのかみ塩椎神・塩じい山幸彦を海神の宮へ導く神
大綿津見神おおわたつみのかみワタツミ海神の宮を治める海の神
豊玉姫とよたまひめトヨタマヒメ和邇・龍の姿で伝えられる海神の娘
玉依姫たまよりひめタマヨリヒメ海神の命を人の時代へ受け継ぐ神
鵜葺草葺不合命うがやふきあえずのみことウガヤフキアエズ豊玉姫の御子で、神武天皇の父
神武天皇じんむてんのう神武天皇天つ神と海神の系譜を受け継ぐ初代天皇

海神から神武天皇へ続く系譜

海の神オオワタツミのから神武天皇までの系譜の画像
海の神オオワタツミのから神武天皇までの系譜

神武天皇は、父方の祖母がトヨタマヒメ、母がタマヨリヒメです。

神話上の系譜では、二人の海神の娘を通して、海神の力が濃く受け継がれています。

さらに日本神話を楽しみたい方へ

日本神話を物語として楽しみたい方には、次の本もおすすめです。

気軽に読める入門書

  • 『眠れないほどおもしろい古事記』
  • 図解 古事記・日本書紀』

図やわかりやすい解説を通して、
日本神話の全体像を気軽に知りたい方に向いています。

子ども向けの本から知る

  • 松谷みよ子『日本の神話』
  • 福永武彦『古事記物語』

子ども向けに書かれた本は、神様の名前や複雑な系譜に戸惑うことなく、
まず物語として日本神話を楽しめるところが魅力です。
大人が読み返しても、新しい発見があります。

福永武彦さんの『古事記物語』は
私が子どもの頃から繰り返し読んできた愛読書です。
この本が、日本神話の世界へ入るきっかけを与えてくれました。

マンガで読む

  • こうの史代『ぼおるぺん古事記』全3巻
  • ふわこういちろう『マンガで読む古事記』
  • 里中満智子『マンガ古事記』

こうの史代さんの『ぼおるぺん古事記』は、
古事記の原文を生かしながら、
ボールペンで描かれた絵によって
神話の世界を表現した作品です。

今回の記事でご紹介した龍や水にまつわる物語も、
本を通して読むことで、さらに奥行きを持って感じられると思います。

**いつも感謝です**
ここから、小さな幸せの種が
やさしい心にそっと届きますように
          杵築乃莉子

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このブログを書いた人

杵築乃莉子プロフィール写真杵築乃莉子(きづきのりこ)
龍と祈りを描くアート作家|八龍易占い®の人|日本八龍アート協会主宰
挫折を経て、龍神さまとの約束で2020年より龍神アートの道へ。シュタイナーアートセラピストとしての叡智を活かし、他者の感情に寄り添い続けるアーティスト。

*毎月25日に龍神アートと言葉をお届け
*時々関西弁
*シュタイナー系アートセラピスト/IDEAL講師
*和の世界とご神木が好き
* “魂の地図”を龍のエネルギーで読んでます。

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