「龍神祝詞を唱えてみたいけれど、危ないって本当?」
「女性は唱えてはいけないという話もあるけれど、大丈夫なの?」
そんな言葉を見かけて、気になっている方もいるかもしれません。
私自身は以前から龍神祝詞を知り、実際に声に出して唱えてきましたが、
「危険だから唱えてはいけない」「女性は唱えてはいけない」と
教わったことはありません。
ただ、龍神祝詞には独特の強さがあります。
私は唱えていると、普段より意識が大きく広がり、
龍の力や宇宙の大きな流れに触れるような感覚があります。
だからこそ、「強い=危険」と決めつけるのではなく、
まずはどんな祝詞なのか、なぜ「危ない」と
言われるようになったのかを丁寧に見てみたいと思います。
この記事では、私が実際に使っている龍神祝詞の全文と読み方、
意味や唱え方に加えて、私自身が唱えて感じてきたこともお話しします。
この記事を読むとわかること
- 龍神祝詞とはどのような祈りの言葉なのか
- 龍神祝詞の全文と読み方
- 龍神祝詞に込められている意味
- 「龍神祝詞は危ない」と言われる理由
- 女性が唱えてはいけないという説について
- 私が龍神祝詞に感じている独特の強さ
- 龍神祝詞と願望実現をどう考えるか
- 大祓詞・六根清浄・龍の御真言との違い
- 自分に合った祈り方の見つけ方
龍神祝詞とは?まず知っておきたい基本

- 龍神祝詞はどのような祈りの言葉なのか
- 現在知られている龍神祝詞の成立について
- 龍神への祈りそのものの歴史
- 龍神信仰と現在の龍神祝詞を分けて考える理由
龍神祝詞は、龍王神を敬い、罪や穢れを祓い、病災を清め、世の安寧や大願成就を祈る言葉と
して広く知られています。
ここで分けておきたいのが、
「龍神への祈りの歴史」と「現在広く知られている龍神祝詞の成立」は同じ話ではないということです。
龍神への祈りそのものには古い歴史があります。
一方、現在一般に「龍神祝詞」と呼ばれている本文については、
いつ、誰が作ったものなのか、はっきりしていません。
龍神祝詞はどんな祈りの言葉?
龍神祝詞は、龍王神を大きな存在として讃えるところから始まり、次のように祈りが広がっていきます。
- 自分の心を戒める
- 罪や穢れを祓う
- 病災を清める
- 世界が穏やかに治まることを願う
- 最後に大願成就を祈る
個人的な願いだけを伝えるというより、
自分自身から世界へ、さらに大きな宇宙へと祈りが広がっていくような祝詞です。
私はこの祝詞に、「龍と仲良くする」という日常的な祈りとは少し違う、
大きな流れへ働きかけるような力を感じています。
現在広く知られる龍神祝詞は比較的新しいという見方もある
私は以前から龍神祝詞を唱えていて、
大祓詞や六根清浄とは少し雰囲気が違うと感じていました。
また、私が使っている龍神祝詞には、
「大宇宙根元」「自在自由」といった言葉も出てきます。

先に唱えていて「少し独特だな」と感じていました。調べてからそう思ったのではなく、自分の感覚が先にあったんです。
その後あらためて調べてみると、現在広く知られている龍神祝詞について、
比較的新しい時代に作られたのではないか、と見る方もいることを知りました。
神道教導職の古川陽明さんは、作者や成立時期が不明であることに触れ、
「大宇宙」「自由」といった言葉などから、かなり新しい時代に作られた祝詞ではないかという見解を示しています。
また、今泉聖天さんは、現在広く唱えられている龍神祝詞とは別に、
中世の春日大社に伝わる「龍神勧請祝詞」を紹介しています。
もちろん、新しいから良い、古いから良い、という話ではありません。
私が先に感じていた違和感と、後から知ったこうした見方が
重なったことが、少し面白いなと思いました。
龍神への祈りそのものは古くから続いている
現在広く知られる龍神祝詞の成立時期がはっきりしていなくても、
龍神への信仰そのものが新しいわけではありません。
春日大社では、室町時代初期には春日龍神への信仰が
広まっていたことが紹介されています。
また、香山龍王社は中世から近代初期まで雨乞いの聖地として信仰され、
八龍神社でも雨乞いの祈りが行われてきました。
龍王社には、神仏習合の時代に興福寺の祈願所と関わっていた歴史も残っています。
| 分けて考えたいこと | 内容 |
|---|---|
| 龍神への祈り・龍神信仰 | 古くから続いている |
| 現在広く知られる「龍神祝詞」 | 作者・成立時期がはっきりしていない |
この章のまとめ
龍神への祈りそのものには古い歴史がありますが、現在広く知られている龍神祝詞の作者や成立時期は、はっきりしていません。
この二つを分けて考えることが大切です。
龍神祝詞の全文|私が実際に使っている祝詞

- 私が実際に使っている龍神祝詞の全文
- 龍神祝詞の読み方
- 私が唱えたときに感じるリズムの特徴
- 本文や表記、読み方に違いがあること
ここでは、私が普段使っている龍神祝詞をご紹介します。
私はこの祝詞をカードにして、今も持ち歩いています。
龍神祝詞には、資料によって言葉や表記、読み方が異なるものがあります。
そのため、この記事では「これだけが唯一正しい本文」とするのではなく、
私自身が実際に使ってきた龍神祝詞を基準にしています。
私が使っている龍神祝詞の全文
龍神祝詞
高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し
給う龍王は 大宇宙根元の御祖の神にして 一切
を産み 一切を育て 萬物を御支配あらせ給う
王神なれば 一二三四五六七八九十の十種の
御寶を己がすがたと變じ給いて 自在自由に
天界地界人界を治め給う 龍王神なるを尊み
敬いて 眞の六根一筋に御仕え申すことの由を
受引き給いて 愚かなる心の數々を戒め給いて
一切衆生の罪穢れの衣を脱ぎ去らしめ給いて
萬物の病災をも立所に祓い清め給い 萬世界
も御祖のもとに治めせしめ給へと 祈願奉る
ことの由をきこしめして 六根の内に念じ申す
大願を成就なさしめ給へと 恐み恐み白す
龍神祝詞の読み方
私が使っているカードには、全文にふりがなが振られています。読みやすいように区切ると、次のようになります。
たかあまはらに ましまして
てんとちに みはたらきを あらわし
たまう りゅうおうはだいうちゅうこんげんの みおやのかみにして
いっさいを うみ
いっさいを そだて
よろづのものを ごしはいあらせたまうおうじんなれば
ひふみよいむなやことの とくさの
みたからを おのがすがたと へんじたまいて
じざいじゆうにてんかい ちかい じんかいを
おさめたまう
りゅうおうじんなるを とうとみ
うやまいてまことの むねひとすじに
みつかえもうす ことのよしを
うけひきたまいておろかなる こころのかずかずを
いましめたまいて
いっさいしゅじょうの
つみけがれの ころもを
ぬぎさらしめたまいてよろづのものの やまいをも
たちどころに
はらいきよめたまいよろづせかいも
みおやのもとに
おさめせしめたまへと
こいねがいたてまつる ことのよしを
きこしめしてむねのうちに
ねんじもうす
だいがんを
じょうじゅなさしめたまへとかしこみ かしこみ もうす
私自身は、この祝詞を大祓詞や六根清浄より少し唱えにくく感じます。
漢字が多いからではありません。
漢字の多い祝詞や漢文でも、
リズムが滑らかで口に乗りやすいものはあります。
龍神祝詞は、私には言葉の切れ方やリズムそのものが少し硬いのです。
大祓詞や六根清浄は、大きな声で呼吸を使いながら力強く唱えることも、
小さな声で静かに唱えることもできます。
一方、龍神祝詞は、ある程度こちらから力を込めて、
言葉を押し出すようにしないと流れに乗りにくい感じがあります。
これは「そう唱えなければならない」という決まりではなく、
あくまで私自身が何度も唱えて感じてきた違いです。
龍神祝詞を現代の言葉で読むと
龍神祝詞は、古い表現や独特の言い回しが多く、
最初は少し意味をつかみにくいかもしれません。
ここでは、私が実際に使っている龍神祝詞を、
意味のまとまりごとに区切って、
できるだけやさしい言葉に置き換えてみます。
| 龍神祝詞の言葉 | やさしい意味 |
|---|---|
| 高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は | 高天原にいらっしゃり、天と地に大きな働きを現される龍王神は |
| 大宇宙根元の御祖の神にして 一切を産み 一切を育て 萬物を御支配あらせ給う王神なれば | 大宇宙の根源につながる祖なる神であり、すべてを生み、育て、万物を治める大いなる神であるので |
| 一二三四五六七八九十の十種の御寶を己がすがたと變じ給いて 自在自由に天界地界人界を治め給う | 十種の御宝をさまざまな姿へと変え、自在に天界・地界・人界を治めておられます |
| 龍王神なるを尊み敬いて 眞の六根一筋に御仕え申すことの由を受引き給いて | その龍王神を尊び敬い、まっすぐな心でお仕えしたいという願いを受け取ってください |
| 愚かなる心の數々を戒め給いて 一切衆生の罪穢れの衣を脱ぎ去らしめ給いて | 迷いや愚かな心を戒め、すべての人々がまとっている罪や穢れを取り去ってください |
| 萬物の病災をも立所に祓い清め給い 萬世界も御祖のもとに治めせしめ給へと 祈願奉る | あらゆる病や災いを祓い清め、すべての世界が御祖のもとで穏やかに整うよう祈ります |
| ことの由をきこしめして 六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと 恐み恐み白す | この祈りをお聞き届けいただき、心の内に抱く大きな願いを成就させてくださいますよう、謹んで申し上げます |
※ここでの現代語訳は、私が実際に使っている龍神祝詞をもとに、
意味をつかみやすいよう現代の言葉へ置き換えたものです。
資料や伝承によって、表記や読み方、解釈が異なる場合があります。
龍神祝詞には異なる本文や表記もある
龍神祝詞をネットで調べると、
「自分の知っている文章と違う」と感じることがあります。
実際、現在「龍神祝詞」として紹介されているものには、
語句や表記、読み方に違いがあります。
ですから、ネットで見た本文と違うからといって、
すぐに「こちらが間違っている」と考える必要はありません。
先生から習ったもの、神社やお寺でいただいたもの、
書籍や手元の資料があるなら、まずその出典を確認してみてください。
この記事では、ネット上の文章を寄せ集めるのではなく、
私が実際に使ってきた龍神祝詞を基準にしています。
別の形を目にしたときにも、
「こんな形もあるんだな」と知っておけば、
必要以上に戸惑わずにすみます。
この章のまとめ
この記事では、私が実際に使っている龍神祝詞を基準に全文と読み方を紹介しています。
資料によって本文や表記、読み方に違いがあることも覚えておくと安心です。
龍神祝詞の意味|どんなことを祈っている?

- 龍神祝詞全体の祈りの流れ
- 龍王神がどのような存在として描かれているか
- 「六根」を私がどう読んでいるか
- 世界の安寧と大願成就がどうつながっているか
龍神祝詞を読むと、とても大きな世界が描かれていることに気づきます。
高天原、天と地、大宇宙、天界・地界・人界、萬世界。
その一方で、自分自身の心、罪穢れ、病災、大願成就へと祈りが降りてきます。
全体を大きく分けると、次のような流れがあります。
- 龍王神を宇宙的な大きな存在として讃える
- 自分の心を整える
- 罪穢れや病災を祓う
- 世界が整うことを願う
- 自分の大願成就を祈る
私は、宇宙規模の大きさと、現実的な願いが同じ祝詞の中にあることが、
とても印象的だと感じています。
龍王神を宇宙的な大きな存在として讃える
祝詞の前半では、龍王神を「大宇宙根元の御祖の神」とし、
一切を産み、一切を育て、萬物を治める存在として讃えています。
龍神様を、自分一人を守ってくれる存在としてだけ見るのではなく、
天界・地界・人界まで治める大きな存在として語っています。
心を整え、罪穢れや病災を祓う
中盤では「六根」という文字が出てきます。
私が使っている龍神祝詞では、
この「六根」に「むね」とふりがなが振られています。
一般に仏教でいう六根(ろっこん)は、
目・耳・鼻・舌・身・意を指します。
ここでは、祝詞に書かれているとおり「むね」と読み、自分の心の内にある思いや願いへ向かう言葉として受け取っています。
龍神祝詞では、自分の心を戒め、罪穢れの衣を脱ぎ去らせ、
病災を祓い清めることを願っています。
願いを叶えることだけが中心ではありません。
その前に、自分自身を整え、清めていく流れがあります。
世界の安寧から大願成就へ
後半では、「萬世界」が御祖のもとに治まることを祈り、
そのあとに「六根の内に念じ申す大願」の成就を願います。
まず世界全体が整うことを祈り、その中で自分の大願を祈る。
自分だけの願いが、世界から切り離されていないのです。
宇宙へ向かうのに、願いはとても現実的
祝詞の言葉は大宇宙や萬世界へ広がりながら、最後には「大願成就」という、
とても現実的なところへ戻ってきます。
宇宙へ広がって終わるのではなく、大きな力とつながり、もう一度現実へ戻ってくる。
この構造に、私は現実を動かす方向の強さを感じています。

祝詞の世界は宇宙へ大きく広がるのに、最後はとても現実的な「大願成就」へ戻ってくる。
その組み合わせが、私はとても不思議で面白いと感じています。
この章のまとめ
龍神祝詞は、宇宙規模の大きな存在を讃えながら、自分を整え、世界の安寧を祈り、最後には大願成就へとつながる構成になっています。
龍神祝詞にはどんな効果がありますか?
龍神祝詞には、罪穢れや病災を祓い清め、大願成就を祈る言葉が含まれています。
そのため、私はこの祝詞を、次のような祈りとして受け取っています。
- 祓い・清め
心の曇りや罪穢れ、病災を祓い、いったん自分を整えるための祈り。 - 守り・境界を整える
私自身は、龍神祝詞を唱えると、内側を整えるだけでなく、
外側へ向かって場を整えるような強さを感じます。
結界を張る、と言い切るよりも、自分と周囲の境界がはっきりするような感覚に近いです。 - 大願成就
最後には「六根の内に念じ申す大願」の成就を祈ります。
ただ願いを叶えてもらうというより、自分を整え、
世界の安寧を祈ったうえで、自分の願いへ向かっていく流れになっています。
私自身は、龍神祝詞を唱えることで、意識が大きく広がり、
現実へ向かって外へ力を動かしていくような感覚があります。
龍神祝詞は危ない?そう言われる理由を考える

- 「龍神祝詞は危ない」という説について調べた結果
- 「強い」と「危険」の違い
- 女性が唱えてはいけないという説について
- 違和感を覚えたときの考え方
「龍神祝詞」と検索すると、「危ない」という言葉が出てきます。
でも私は、龍神祝詞を習ったときに
「危険だから気をつけなさい」と言われたことはありません。
そこで今回、「龍神祝詞は危ない」という話が
どこから出てきたのかも調べてみました。
「龍神祝詞は危ない」という説はどこから広がった?
今回調べた範囲では、「この人が最初に言い出した」と
一人に特定することはできませんでした。
また、神社本庁が公開している神拝詞の案内なども確認しましたが、
私が確認した公的資料の範囲では、龍神祝詞を「危険」としたり、
「女性は唱えてはいけない」としたりする規定は見つけられませんでした。
神社本庁の神拝詞には、大祓詞・祓詞・神社拝詞などが掲載されています。
一方、ネットやスピリチュアル系の発信では、次のような話が見られます。
- 龍神は力が強い
- 安易に願ってはいけない
- 願いには対価が必要なのではないか
「危険」という言葉だけを見て怖がる前に、誰が、どんな立場から言っているのかを見ることも大切だと思います。
「強いエネルギー」と「危険」は同じではない
私自身、龍神祝詞は強いと感じています。
強いことと危険なことは同じではありません。
私には、龍神祝詞に切り開く、動かす、守るといった
外向きの方向性が感じられます。
その強さに少し疲れる人や、今の自分には合わないと
感じる人がいても不思議ではありません。
それは「危険だから」というより、
自分との相性や、そのときの状態の違いでもあると思います。
女性は龍神祝詞を唱えてはいけない?
私はこれまで、「女性だから龍神祝詞を唱えてはいけない」と
教わったことはありません。
私自身、大野百合子さんの「和の叡智伝達者養成講座」や「魂魄ひーりんぐ」などで、
古神道や祈りについて学ばせていただいてきました。
また、『神社と龍神様で大開運!祈りと浄化の作法』など、
龍神や神社での祈りについての著書も出されています。
私自身、そうした学びの中でも、
女性であることを理由に龍神祝詞を止められた経験はありません。
一方で、この祝詞に男性的な響きを感じることはあります。
男性的な響きを感じることと、女性が唱えてはいけないことは別の話です。
私は男女を問わず、唱えたいと感じたときに唱えればいいと思っています。
違和感があるなら、その感覚も大切にする
唱えてみて、「なんだか違うな」「私には少し強いな」と
感じることもあるでしょう。
その感覚まで無視する必要はありません。
祝詞だけが龍神様へ祈る方法ではないので、無理に続ける必要はないと私は思います。
自分に合う別の祈り方については、後半でお話ししますね。
この章のまとめ
龍神祝詞には強さを感じますが、私は「強い=危険」とは捉えていません。
ネット上の言葉だけで判断せず、自分自身の感覚も大切にしてよいと思っています。
私が龍神祝詞を唱えて感じる「強さ」

- 私が感じる宇宙とのつながり
- レイキとの感覚の違い
- 「宇宙に棲む龍」とはどんな感覚なのか
- 龍神祝詞に感じる外向きの守り
ここからは、一般的な説明ではなく、私自身が実際に唱えて感じてきたことです。
同じ祝詞を唱えても感じ方は人それぞれですので、
一つの体験として読んでいただければと思います。
宇宙の大きな流れにつながる
私が龍神祝詞を唱えるとき、強く感じるのは宇宙です。
レイキでも宇宙とのつながりを感じますが、私の中では少し違います。
レイキは、地上に立ったまま宇宙とつながり、そのエネルギーを受け取る感じがあります。
龍神祝詞は、そこからもう少し外へ出る感じです。
自分の意識が地上から離れ、宇宙へ向かっていく。
そんな感覚があります。
宇宙に棲む龍と同じ風景を見ている
龍神祝詞を唱えていると、個人について守ってくれる龍というより、
もっと大きな龍を感じます。
時間や星々の営み、宇宙の大きな流れに関わっているような龍です。
その龍が私のところへ降りてくるというより、
宇宙に棲む龍と、同じ風景を見ている。
私には、そんな感覚があります。
個人に宇宙規模の龍が付いているというイメージとは少し違います。
人が、その大きな龍の流れへつながる。私にとっては、その方が近いのです。
力を込めて唱えたくなる
全文の章でも触れたように、龍神祝詞は私には、
ある程度こちらから力を込めて言葉を押し出すように唱えたくなる祝詞です。
力のある祈りであると同時に、唱える側にもエネルギーを求める。
そこにも、龍神祝詞らしい強さを感じています。
内側を整えるより、外へ向かう
この強さは、私には内側だけで完結せず、外へ向かうものとして感じられます。
ときには、「ここから内側は大丈夫」というような、結界的な守りを感じることもあります。
自分の周囲に境界をつくり、外へ向けて守りを広げる。私はそこにも、龍神祝詞の特徴を感じています。
この章のまとめ
私にとって龍神祝詞の強さは、宇宙へ意識が広がる感覚と、外へ向かって境界をつくるような力の両方にあります。
龍神祝詞と願望実現|強い祈りをどう使う?

- 龍神祝詞と願望実現をどう捉えているか
- 私が「願いは別の棚」と考える理由
- 夢が叶うまでのプロセスについて
- 直接願望実現に使う場合に大切にしたいこと
龍神祝詞には「大願を成就なさしめ給へ」という祈りがあります。
私も、この祝詞には現実を動かすような強さがあると感じています。
だからこそ、その力につながって、何を願うのか。
そこを大切にしたいと思っています。
願いを動かす力はあると感じる
私は、龍神祝詞を一度唱えただけで、
突然大きく現実が変わったという経験があるわけではありません。
ただ、祝詞について改めて考えているうちに、
「これだけ大きな龍的な力につながる祈りなら、
願望実現にも強く働くのかもしれない」と思うようになりました。
宇宙へ大きく意識を開き、その先で「大願成就」を祈る。
その構造そのものに、現実へ働きかける力を感じます。
願いは「別の棚」に置いておく
でも私は、龍神祝詞を唱えるとき、願いを真正面に置かなくてもいいと思っています。
願いはいったん別の棚に置いておく。
まず自分を整える。大きな流れにつながる。視野を広げる。
願いを握りしめて「叶えて、叶えて」と力を入れるより、
一度そこから手を離した方が見えてくるものもあります。

私は、願いをいったん「別の棚」に置いておく感じが好きです。
願いだけを握りしめるより、まず自分を整えることを大切にしています。
夢が叶うことだけが幸せではない
私は、夢が叶うことだけが幸せなのではないと思っています。
夢へ向かう時間、その途中で出会った人、迷いながら選んだこと。
辛いことがあったとしても、後から振り返ったとき、
「この選択をしてきたから、今がある」と思えること。
そのプロセスも含めて、幸せでありたいと思っています。
宇宙の大きな流れにつながり、自分の生き方と夢が一致していく。
その結果として、必要なことが起こり、夢が現実に近づいていく。
私はそんな願い方が好きです。
直接願望実現に使うなら、過程も受け取る
もちろん、龍神祝詞を直接、願望実現の祈りとして使うことを否定しているわけではありません。
強く動かす力を感じるからこそ、そういう使い方もあると思います。
ただし、「この願いさえ叶えばいい」と結果だけを決めてしまうと、
自分が思っていなかった道を通ることもあるかもしれません。
何かを大きく動かせば、ほかのものも一緒に動くことがあります。
直接願うなら、叶い方や途中の変化まで含めて受け取る余白を持っていたいと思います。
この章のまとめ
願望実現を願うこと自体を、私は否定していません。
ただ、結果だけでなく、自分の生き方やそこへ向かうプロセスまで大切にしたいと思っています。
龍神祝詞・大祓詞・六根清浄・御真言|私が感じる違いと使い分け

- 六根清浄を唱えるときに感じる方向
- 大祓詞と龍神祝詞の違い
- 龍神祝詞に感じる守りの性質
- 私が龍の御真言を選ぶ場面
祈りの言葉には、それぞれ違った響きがあります。
ここでは宗教的な優劣ではなく、
私自身が実際に唱えてきた中で感じる違いをご紹介します。
六根清浄|自分の内側を整える
六根清浄は、私にとって自分の内側を整える祈りです。
自分の感覚や心を澄ませ、軸を戻していくような感じがあります。
力強く唱えてもいいし、小さな声で唱えてもいい。
私は六根清浄がとても好きです。
大祓詞|日々の穢れを祓い清める
本当に「祓いたい」と感じるときには、私には大祓詞がしっくりきます。
日々知らず知らず積もったものを流すような祈りであり、
自分だけでなく、もっと大きな平安へ祈りが広がっていく感じがあります。
龍神祝詞|境界をつくり守る
龍神祝詞には、私には「魔払い」に近い感覚があります。
怖いものと戦うという意味ではなく、先ほど触れたように、
自分の周りに境界をつくり、外へ向けて守りを広げるような感覚です。
龍の御真言|無心に祈り、つながる
神社やお寺、守護龍アートやチャネリングの前には、
私は八大龍王の御真言として伝えられている
「オン メイギャ シャニエイ ソワカ」を唱えることが多いです。
八大龍王は、水や雨と深く関わる龍王として信仰されてきました。
また、除災・守護・商売繁盛・願望成就などのご利益があると言われています。
私はこの御真言を、何かを叶えてもらうためというより、
祈り、龍とつながるための言葉として使っています。
御真言は短く、意味を頭で追い続けなくても、
無心に繰り返しやすいところが私には合っています。
ただ祈る。
ただつながる。
そんなときに、この御真言を唱えることが多いです。
| 祈り | 私が感じる方向 | 使うことが多い場面 |
|---|---|---|
| 六根清浄 | 内側を整える | 自分の感覚や心を整えたいとき |
| 大祓詞 | 祓い・清め | 日々の穢れをしっかり祓いたいとき |
| 龍神祝詞 | 外向き・境界・守り | 強く祈りたいとき、結界的な払いを感じるとき |
| 龍の御真言 | 無心につながる | 神社・寺院、守護龍アートやチャネリングの前 |
この表は宗教的な分類ではなく、あくまで私自身の体感と使い分けです。
この章のまとめ
私にとって、六根清浄は内側を整え、大祓詞は祓い清め、龍神祝詞は外向きの守り、龍の御真言は無心につながる祈りです。
龍神祝詞の唱え方|私が大切にしていること

- 龍神祝詞を唱える前に大切にしていること
- 場所や形式をどう考えているか
- 水を置くことについて
- 唱え終わったあとに大切にしていること
龍神祝詞を唱えるために、必ず特別な場所や道具が必要だとは思っていません。
大切なのは、そのとき自分ができる範囲で心を整え、祈りに向き合うことです。
まず心を落ち着ける
直前までの怒りや焦りを、そのまま引きずって唱えるより、一度心を落ち着けます。
周りを少し整える。呼吸を整える。手を洗う。
そんな小さな所作だけでも、気持ちが切り替わります。
その場所、その時間でできる最善でいい
完璧に場を整えなければ祈れない、とは思っていません。
外出先なら外出先で。家なら家で。
その場所、その時間でできる最善でいい。
形式を守ることに緊張するより、祈る自分の心が落ち着いていることを大切にしています。
水のそばは心地よく感じる
私は、水のそばで龍神祝詞を唱えると気持ちよく感じます。
家なら、龍のコーナーに水を置いてみるのもいいかもしれません。
でも、それを決まりにはしたくありません。
水がなければ唱えられないわけでもありません。
自分が心地よく祈れる環境をつくる、その一つの方法です。
唱え終わったら静かに現実へ戻る
祝詞を唱える前には、それまでの気持ちをいったん置く。
そして唱え終わったら、少し静かな時間を取り、また現実へ戻ります。
祈りの時間は特別です。
でも、その特別な時間を日常から離れた別世界にしてしまわない。
特別な時間だけれど、特別にしすぎず、日常に溶け込ませる。
私はそんな祈り方を大切にしています。
私自身の流れを簡単にすると、次のようになります。
- 直前までの気持ちをいったん置く
- 周囲や呼吸をできる範囲で整える
- その場所、その時間に合った形で唱える
- 終わったら少し静かにして、現実へ戻る
これは決まりではありません。私が祈りを日常に取り入れるときに、大切にしている流れです。
この章のまとめ
特別な形式より、その場所、その時間でできる最善を大切にし、祈りの前後で心を整えて日常へ戻る。
私はそんな唱え方を大切にしています。
神社やお寺では龍神祝詞を唱えた方がいい?

- 神社やお寺で私が唱えている祈り
- 神仏習合と龍神信仰の関係
- 祝詞と御真言をどう選んでいるか
龍神様を祀る神社へ行くと、「龍神祝詞を唱えた方がいいのかな」と思う方もいるかもしれません。
私は、必ず龍神祝詞でなければならないとは思っていません。
神社やお寺では御真言を唱えることも多い
私自身、神社やお寺では龍神祝詞よりも、
前章でご紹介した龍の御真言を唱えることが多いです。
短く、無心に唱えやすいことも理由の一つです。
私が教わった御真言には、あわせて結ぶ印があり、
不自然でない場所なら印を結ぶこともあります。
でも、印を結ばずに唱えることもあります。
ここでも、形を完璧に守ることより、その場で自然に祈れることを大切にしています。
神社とお寺は、昔から完全に分かれていたわけではない
現在は、「神社は神道」「お寺は仏教」と分けて考えることが多いですが、
日本では長い間、神と仏が重なり合う神仏習合の時代がありました。
春日大社の龍王社も、神仏習合の時代には興福寺の祈願所である安居屋の鎮守社として
祀られていたことが公式に紹介されています。
だから私は、「神社だから必ず祝詞」「お寺だから必ず御真言」と固く分けてはいません。
神社で唱えるときは、まずその神社の作法を大切に
神社を参拝するときは、まず手水で手や口を清め、
御神前では「二拝二拍手一拝」を基本とするのが一般的です。
神社によって独自の拝礼作法がある場合もありますので、
その場所に案内があれば、それに従うのがよいと思います。
また、龍神祝詞をどのタイミングで唱えるかについて、
すべての神社に共通する決まりがあるわけではありません。
私自身は、形を完璧に守ることよりも、その場所を尊重しながら、
無理なく自然に祈れることを大切にしています。
「ここでは唱えない方がよさそう」と感じたときは、
心の中で静かに祈るだけでも十分だと思っています。
自分が自然に祈れる言葉を選ぶ
昔、お寺と深く関わっていた場所なら、
「御真言を久しぶりに聞いて、龍神様も喜んでくださるかもしれないな」と
思って唱えることもあります。
何を唱えれば正解なのかを探し続けるより、
自分がその場所で自然に祈れる言葉を選ぶ。
私はそれでいいと思っています。
この章のまとめ
私は、神社だから祝詞、お寺だから御真言と厳密には分けず、その場所で自然に祈れる言葉を選んでいます。
龍神祝詞に違和感があるなら、自分の言葉で祈ってもいい

- 龍神祝詞に違和感があるときの考え方
- 唱えたいと感じたときに大切にしたいこと
- 自分の言葉で祈るという選択
- 私が日常で使っている祈りの言葉について
祝詞には、受け継がれてきた言葉の力があります。
でも、祈りは決められた言葉だけでしか届かないものではない、と私は思っています。
自分が本当に使っている言葉、自分の心から自然に出てくる言葉の方が、
つながりやすいと感じることもあります。
唱えたいときに唱えればいい
龍神祝詞に惹かれたなら、男性でも女性でも、
唱えてみればいいと思います。
「唱えたい」と感じたこと自体、そのときの自分に必要な何かがあったからかもしれません。
最初から「危険なのでは」と怖がりすぎなくてもいいでしょう。
合わないなら無理に続けなくていい
反対に、唱えてみて、「ちょっと違うな」「もっと柔らかな言葉の方がいいな」と
感じることもあります。
それも大切な感覚です。
祈りの言葉に自分を無理に合わせる必要はありません。
御真言でも、自分自身の言葉でもいい。
自分が自然に祈れる形を選んでよいと思います。
私は日常では自分の言葉も使っている
私は龍神祝詞を唱えるときもあり、今でも祝詞を持ち歩いています。
でも、日常の中で龍と仲良くありたいときには、
自分で作った、もっと簡単な祈りの言葉も使っています。
毎月の龍神アートをご購入くださった方には、
初回プレゼントとして、その言葉をカードにしてお渡ししています。
龍神祝詞は、力強く大きな祈り。
自分の言葉は、毎日の暮らしの中で龍に語りかける祈り。
どちらか一つだけが正しいのではありません。
そのときの自分に合った言葉を選べばいい。
私はそう感じています。
この記事を通して龍の世界に心惹かれた方は、
龍神アートに込めている想いや、
これまでに生まれた龍神アートギャラリーも、ぜひご覧ください。
現在お迎えいただける作品は、公式ショップでご紹介しています。
この章のまとめ
龍神祝詞が自分に合わないと感じたら、御真言や自分自身の言葉で祈る方法もあります。
そのときの自分に自然な祈りを選んでよいと思っています。
まとめ|龍神祝詞の強さと、自分の祈り方

龍神祝詞について調べると、
「危ない」「女性は唱えてはいけない」「強すぎる」という言葉に
出会うことがあります。
私は、龍神祝詞そのものを怖いものだとは感じていません。
ただ、とても力強い祝詞だとは感じています。
宇宙の大きな流れにつながり、外へ働きかけ、
そして最後には大願成就という現実的な祈りへ戻ってくる。
だからこそ私が大切にしたいのは、
「その大きな力につながって、私は何を願うのだろう」ということです。
願いを持ってもいい。直接願ってもいい。
あるいは、願いをいったん別の棚に置いて、自分を整えることから始めてもいい。
祈りの時間は特別です。
でも、特別な人になるためのものではなく、
日常をより大切に生きるための時間であってほしい。
私はそう思っています。
大きな力につながったとき、あなたは何を願いたいですか?
龍神祝詞についてよくある質問
龍神祝詞は毎日唱えてもいいですか?
毎日唱えることを禁じる公的な決まりはありません。
毎日唱えることで心が整う方もいれば、必要だと感じたときだけ唱える方もいるでしょう。
毎日唱えなければならないものでもありません。
私は回数よりも、「今、唱えたい」と感じる気持ちを大切にしています。
女性が龍神祝詞を唱えてもいいですか?
女性が龍神祝詞を唱えることを禁じる公的な規定は見つけられませんでした。
私自身も女性ですが、龍神祝詞を唱えてきましたし、
大野百合子さんの「和の叡智」や「魂魄ひーりんぐ」などで
古神道や祈りについて学んできました。
「女性だから唱えてはいけない」と教わった経験はありません。
男性的な響きを感じることと、女性が唱えてはいけないことは別だと私は思っています。
家で龍神祝詞を唱えてもいいですか?
私は家でも唱えます。
特別な祭壇がなければいけないとは考えていません。
水を置いたり、周囲を少し整えたりすると気持ちが落ち着くことはありますが、
それも必須の作法ではありません。
その場所、その時間でできる最善でいいと思っています。
龍神祝詞を読み間違えても大丈夫ですか?
最初から完璧に読めなくても、必要以上に怖がらなくていいと私は思います。
ただ、龍神祝詞には異なる本文や表記、読み方がありますので、
自分が使う本文を一つ決め、少しずつ読み慣れていくと安心です。
龍神祝詞は願望実現に使えますか?
龍神祝詞には「大願を成就なさしめ給へ」という祈りがあり、
願いを祈る内容そのものが祝詞の中に含まれています。
私は直接願うことも否定していません。
ただ、結果だけを強く求めるより、自分を整え、その願いと自分の生き方が一致しているかを
見つめることも大切にしています。
龍神祝詞と龍の御真言はどう違いますか?
成り立ちも言葉の形も違います。
私自身の使い分けでは、
龍神祝詞には力強く外へ働きかける感覚があります。
一方、龍の御真言は短く繰り返しながら、
無心に祈り、龍とつながるときに使うことが多いです。
どちらが上ということではありません。その日の自分が、
どんな祈りを必要としているのか。そこから選んでみてください。
龍神祝詞の覚え方は?
最初から全文を暗記しようとせず、意味のまとまりごとに区切り、
声に出して繰り返すと覚えやすくなります。
私は龍神祝詞をカードにして持ち歩いています。
持ち歩くようになってから、
忘れてちゃんと唱えられなかった~と思わずに済むようになりました。













占いで道を照らす――龍とともに導く人。
あなたの感受性を「力」へと育てる専門家
杵築 乃莉子(きづきのりこ)です。
ここでは龍のことを深く知り、仲良くなるための小さなヒントをお届けします。